教養学部報
第669号 ![]()
政治家の声音に惑わされる?
鹿毛利枝子
声音と投票をめぐる研究について執筆できないかとご依頼を頂き、お引き受けしてしまったはよいものの、この研究はまだまだ端緒についたばかりであり、解明されていない点も多い。特にこの記事に目を通して下さっている学生さんには、研究プロジェクトというのはこういう感じで始まるのだという、雰囲気を感じて頂ければと思う。
この研究は、候補者の声音が、有権者が候補者に対して抱く印象や、ひいては投票行動にどのような影響を及ぼすのかを検証するものである。政治学においては、有権者の投票行動がどのような要因に規定されるのか、多くの研究が蓄積されてきた。候補者の政策や有権者の支持政党、その時々の経済状況などももちろん重要であるが、それ以外にも候補者の人柄(と有権者が思っているもの)のように内面的な要因、あるいは候補者の外見のように、より表層的な要因も影響を及ぼすことが知られる。たとえばアメリカでは身長の高い大統領候補の方がより低い候補よりも有権者に支持されることが示されてきた。わが国においても、選挙ポスターで笑顔をみせる候補者は笑顔でない候補者に比べて多く得票するという調査結果がある。
有権者はテレビやインターネットを通して、政治家の容姿や服装といった視覚的情報を目にするだけでなく、声音という聴覚的な情報にも接する。政治家に限らず、声音が一般的に人の印象形成に与える影響については、心理学分野において研究が蓄積されてきた。たとえば声音の高低は、それを発する人の力強さや信頼感、リーダーとしての適性や魅力などに影響を与えることが分かっている。アメリカ政治学においても、声音が候補者の印象形成に与える研究が進んでおり、全般に声音の低い候補者の方が、男女を問わず、高い候補者よりも有権者に支持されることが示されている。このような研究結果を知ってか知らでか、イギリスのサッチャー首相は、首相就任後、顕著に声音を下げて話すようになったといわれる。ただ、日本において、政治家の声音が有権者の投票行動にどのような影響を及ぼすのかについては、ほとんど研究されてこなかった。
本研究は、イェール大学のフランシス・ローゼンブルースさんとクレア・バウアーンさん、オランダ・フローニンゲン大学の田中世紀さんとスウェーデン・ウプサラ大学の奥山陽子さんというチームで始まった。ローゼンブルースさんと田中さんと筆者は、以前から日本の女性政治家について研究を進めていたこともあり、本研究ではひとまず女性候補者の声音が有権者の印象形成や投票行動に及ぼす影響を探ることにした。しかし、二〇一九年に始まった研究は開始早々に予期せぬ問題に直面することとなった。第一に、二〇二〇年に始まるコロナ禍である。もっとも、大変ありがたいことに、駒場図書館をはじめ、東大の図書館も早々にサービスを再開して下さり、この研究のために必要な文献をほぼ遅れなく揃えることができ、また調査会社も早い段階からオンラインでの相談や請求に切り替えて下さり、二〇二一年三月には最初の調査を行うことができた。第二の、より大きな問題は、このプロジェクトの発案者であり、チームを引っ張っていたローゼンブルースさんが病に倒れ、二〇二一年秋に亡くなられてしまったことである。ここ数年、ローゼンブルースさんと刺激に満ちた共同研究をいくつも進めていた筆者としてはショック以外なにものでもなかった。ただ、彼女が生前楽しそうに語っていたこのプロジェクトをなんとか形にしたいという決意を新たにすることとなった。
調査の方法としては、政治学においても近年広まっている、RCT(Randomized Control Trial)の手法を用いた。具体的には、四百名超の被験者をランダムに複数のグループに分けた上で、グループによって異なる高さの音声を聞いて頂き、候補者に対する印象を答えて頂くという手法である。
研究チームとしては、アメリカにおける結果と同様、日本の有権者も声音の低い候補者を高い候補者よりも支持するであろうと考えていた。しかし蓋を開けてみると、この予想は見事に裏切られた。被験者全体としてみた場合、声音の高い候補者と低い候補者の間で支持される程度に差はなかったのである。さらに回答結果を分析してみたところ、男性被験者は声音の低い候補者を高い候補者よりも支持するものの、女性被験者は声音の影響を受けないことが判明し、声音の影響には男女差があることが分かった。また一般に声音は年齢とともに低下し、声音の低さは政治家としてのキャリアの長さを示すシグナルとして受け止められる可能性もあるため、被験者の半分にはこの候補者が当選一期目であること、もう半分にはこの候補者が当選六期目であることを伝えたが、当選回数にかかわらず、結果は同じであった。二〇二四年にも、より多くの被験者を得て再度調査を行ったが、結果は変わらなかった。
日本の男性被験者が声音の低い女性候補者を支持することは、アメリカにおける知見と同様であるが、女性被験者の候補者支持が声音の高低の影響を受けないのは、アメリカにおいて報告されているのとは異なる結果である。今回の調査では、その理由にまでは踏み込むことはできなかったが、可能性としてはいろいろと考えられる。たとえば、一般に日本人女性の声音は他の多くの先進諸国の女性と比べて高いことが知られる。普段からさまざまな声音の女性と接することの多いわが国の女性有権者は、政治家としての「能力」と声音の高低の間に関係がないことをよく知っているのかもしれない。また今回の実験調査の設計は、女性候補者の声音と当選回数のみを情報として示すという、かなりシンプルなものであり、これは、声音が有権者に及ぼす影響を、他の要因をコントロールしつつ検証するという点では有用な設計であったが、候補者の政策的な立場など、その候補者についてより多くの情報がある場合には、有権者の方も、声音に「惑わされる」度合いが減るのかもしれない。これらの点については今後も引き続き調査を進める予定である。
(国際社会科学/法・政治)
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