HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報669号(2026年1月 6日)

教養学部報

第669号 外部公開

アマチュアの地位

桑田光平

image669-01-2.jpg フランスの作曲家ピエール・ブーレーズは、一九七七年、文化政策を強力に推し進めていた当時の大統領ジョルジュ・ポンピドゥーからの依頼に応え、現代音楽の巨大な研究センターであるIRCAM(音響音楽研究所)を設立した。そのIRCAMで、ブーレーズはミシェル・フーコーやジル・ドゥルーズ、ロラン・バルトといった哲学者や文芸批評家たちと「音楽的時間」と題するセミナーを七八年に開催する(その様子は現在、YouTubeで見ることができる)。このセミナーの企画段階で、バルトは現代音楽における「アマチュアの地位」の問題に取り組むことを提案した。この提案は、現代音楽の巨匠をひどく驚かせた。現代音楽は高度な技術や専門知を前提としたものだという認識があったからだ。ブーレーズの困惑はその後も解消されることなく残り続け、八〇年に逝去したバルトを悼む雑誌の特集号には、「アマチュアの地位」と題する小文が寄せられることになる。その中で、現代音楽の「専門家」たるブーレーズは、「アマチュア」についていささか熱っぽくあれこれと考察した挙句、「疑問、ジレンマ......」というつぶやきを最後に残している。

 バルトにとって「アマチュア」とは、ナルシシズムや承認欲求はもとより、文化・教養からも解放され、完成度など考えず、もっぱら自分の好きなことを愛好する人間を意味する。彼自身、愛好家として絵を描き、ピアノを演奏していた。実際のところ、アマチュアがそれほどピュアなものかどうかはかなり疑わしいが―自称アマチュアにはナルシストも多い気がする―、それでも、専門家やプロにはない解放感を得られるというのは本当だろう。その後、「アマチュア」をめぐっては異なる角度から哲学者のベルナール・スティグレールが肯定的に論じることになる。

 二〇一五年、同僚のパトリック・ドゥヴォスさんと一緒に放送大学でフランス語の授業を担当することが決まった(開講は二〇一八年)。以後、研究室が又隣だったパトリックさんとは、教材作りなどについて、打ち合わせと称した雑談をたくさんするようになった。もちろん同じ表象文化論コースに所属していたので、それまでも脱線しつづける彼の話をときどきは聞いていたのだが、幼少期を過ごしたコンゴ民主共和国での嘘みたいな話や、大学生の頃アフリカでドキュメンタリー映画を撮影した話、知り合いのアフリカ系の作家や詩人の話などを聞いているうちに、自分の中の何かがクリックされ、なんとなくアチェベやチュツオーラ、サンゴールなどのアフリカの古典的な作家の作品を読みはじめ、折に触れてニムロッドやアブドゥラマン・ワベリら現代作家も手にとるようになった。決して「貪るように読んだ」わけではなく、なんとなくアフリカン文学が自分の読書の中に入ってきたという感じ。それまでフランス語圏の文学や芸術を研究していた私には、旧植民地とはいえ―いや、だからこそ―アフリカは遠すぎた。生半可な知識や覚悟で近づこうものなら、こわい専門家たちから怒られる。近現代のフランス文芸を研究しながらも、旧植民地諸国については素人に過ぎず、その過酷な歴史と政治を考えれば、私のようなアマチュアは決して口を出してはならないのだ。アフリカへの扉を開いてくれたのは、批評理論でもアカデミックな専門家の研究でもなく、パトリック・ドゥヴォスという魅力的な人物であり、やはり人との出会いは大事だなと今でも思っている。

 四十歳を過ぎた遅すぎるアフリカン文学との出会いだったが、パトリックさんと会うたびに、「アフリカに行こう、荷物持ちやるし、ご飯も作るから、だから一緒にアフリカに行こう」と何度も誘われるようになり、紆余曲折はあったものの、二〇二一年のパトリックさんの定年退職を祝って、翌年、一緒にコンゴ共和国に行くことになった。彼の生地であるコンゴ民主共和国ではなくて、お隣のコンゴ共和国を選んだのは、アラン・マバンクの作品の舞台となっている地をどうしても見たかったからだ。自分の知っているわずかなアフリカン文学の作品のなかで、いちばん魅かれたのがマバンクの小説だった。奇想天外なプロット、強烈な個性を持った登場人物、織り交ぜられたアフリカの知と歴史。フランスの研究者仲間からは軽いとか大衆的とか言われたが、私にとっては極上のエンターテインメントだ。アフリカから戻り、縁あって翻訳することになった『割れたグラス』は、彼の代表作。コンゴ共和国の港町ポワント=ノワールにあるうらぶれたバー〈ツケ払いお断り〉を舞台にした小説で、バーに集う酔いどれたちが語る驚異的な人生と、それを書き留める主人公〈割れたグラス〉の人生とが、奇妙な仕方で交差する。ピリオドがひとつもなく、無数の文学作品のタイトルが引用符なしで散りばめられている前衛的な作品だが、内容に難解なところはない。旅と翻訳、そして何よりパトリックさんを通して、私はこれまで以上にアマチュア研究者という、ほとんど語義矛盾のような自分の地位を受け入れるようになれたのだった。

(超域文化科学/フランス語・イタリア語)

第669号一覧へ戻る  教養学部報TOPへ戻る

無断での転載、転用、複写を禁じます。

総合情報