HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報669号(2026年1月 6日)

教養学部報

第669号 外部公開

<送る言葉> 山口泰先生をおくる

金井 崇

 山口泰先生は、長年にわたり視覚メディアの分野の研究と教育にご尽力されました。副研究科長など駒場での要職を歴任されただけでなく、情報処理学会グラフィクスとCAD研究会(現・CGVI研究会)の主査、日本図学会会長、国際図学会会長など、学外においても重要な役割を担われました。

 以下では、これまで山口先生に長くお世話になってきた立場から、いくつかの思い出を述べさせていただきます。

 山口先生と最初にお会いしたのは、今から三十年以上前の一九九二年のことです。

 当時、私は工学部精密機械工学科(現・精密工学科)の四年生で、研究室に配属されて卒業論文のテーマを選んでいました。いくつかの候補の中から研究テーマを決めたところ、指導教官から「そのテーマは山口くんのものだから、指示を仰いで」と言われ、まだ神田にあった頃の東京電機大学の研究室を訪ねたのが最初の出会いでした。

 そのときの第一印象は、口髭を蓄えておられ、威厳があり、非常に怖い先生だというものでした。しかしその後は、学部四年および修士課程を通じて研究の面倒を見ていただき、実質的な指導教官として大変お世話になりました。

 修士課程を修了し博士課程に進むまでの春休みのある日、すでに駒場Ⅰキャンパスに移られていた山口先生から、「研究室を引っ越すので手伝いに来てほしい」と声をかけていただきました。

 当日は、情報教育南棟(現・情報教育棟)と15号館を行き来しながら荷物を運んだ記憶があります。昼食のために入った店内ではテレビが騒がしく、地下鉄がマヒ状態になっているとのニュースが流れていました。そう、実はその日(一九九五年三月二十日)は地下鉄サリン事件(どのような事件かはWebで検索してみてください)が起きた日だったのです。そのとき山口先生が「サリンといえば〇〇でしょ」とおっしゃり、事件の全容がまだ明らかになっていなかったにもかかわらず、見事に犯人(の団体)を言い当てておられたことが、今でも強く記憶に残っています。

 博士課程二年目には、米国ワシントンDC郊外での国際会議の後、当時在外研究のためスタンフォード大学に滞在されていた山口先生を訪ねたことも印象深く覚えています。突然の訪問にもかかわらず快く迎えてくださり、キャンパス内を案内していただいたほか、食事をご馳走になり、さらには宿泊先のあったサンフランシスコまで車で送っていただくなど、大変お世話になりました。

 時は流れ、私が駒場Ⅰキャンパスに赴任した二〇〇六年からは、研究分野が近かったこともあり、共同研究や授業の分担など、何かとご一緒させていただく機会が多くありました。また、研究室のゼミを合同で開催するなど、学内でもさまざまな形でご指導をいただき、そのつながりは二十年近く経った現在でも続いています。

 以上に述べたこと以外にも、山口先生との思い出は枚挙にいとまがありませんが、紙面の都合によりここでは割愛いたします。
長年にわたり大変お世話になった先生が駒場を去られるのは、誠に寂しく、心細い限りです。少しでもそのお姿に近づけるよう努力を重ねるとともに、先生の今後ますますのご健勝とご活躍を心よりお祈り申し上げます。

(広域システム科学/情報・図形科学)

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