教養学部報
第670号 ![]()
<送る言葉> 石田淳先生を送る
湯川 拓
石田先生が駒場を去られる。学内においては総合文化研究科長として全学の中での駒場のあり方について的確な舵取りをお見せになり、学界においては日本国際政治学会と日本平和学会にて会長の重責を担われた。研究者としては国際政治学における卓抜した理論家として思考様式そのものを打ち立てる論文を次々と江湖に問われ、教育者としてはその格調高い授業が多くの学生を魅了し幾人もの研究者志望の院生が石田門下の扉をたたくこととなった。これでもなお石田先生のご活躍からすればほんの一端に過ぎない。この豊富なご業績を語るに際しこの字数では途方に暮れてしまう。
私個人にとっての石田先生とはまずはご指導を受け論文から学ばせていただいた「先生」ということになる。先生が駒場に着任された二〇〇五年は私が修士に進学した年であり、以後博士論文の審査委員を含め、現在に至るまで手厚いご指導をいただいてきた。先生が作られた理論枠組み(例えば抑止と安心供与を並列的に考える)は今では国際政治学全体における共通の「文法」として機能しており、これは理論家として理想的な境地だと言えるだろう。「自分もこのような仕事をしてみたい」と院生時代の私は思った(そして今も思っている)。その先生から直接ご指導を受けられたことはこの上ない幸運であった。
石田先生から学んだことの一つは、研究では一切の妥協を許してはならないということである。先生の論文は句読点の一つに至るまで吟味されつくしており、その内容は尋常ではなく濃密である。手を抜いた「やっつけ論文」の類は文字通りただの一本もない。私はこの研究に対する真摯な取り組みもまた倣わねばと思った。せめて自己を律することだけは自分でも真似ができるかもしれない。
二〇一九年に同僚として駒場に務める幸運を得てからは、この学問への峻厳な姿勢は学務や公務を含め全てにおいて実践されているのだと知ることとなった。しかし同時に、先生は常に周りに気を配られ、温かい励ましの言葉を下さる方でもある。ある年の学会で私が司会を務めることになっていたところ、妻の出産と時期が重なりそうになったことがあった。その際に先生が「私でよければ代わりますよ」というご連絡を下さったことは忘れられない。
どうして才覚においては先生に遠く及ばない私にまでよくしてくださるのだろうというのは度々頭をよぎってきた疑問である。僭越ながら申し上げれば、こと学問については手を抜かないということに由来するある種の「信頼関係」が先生との間にあったからではないだろうか。だからこそ、私は石田先生だけは失望させてはならないと思い、励んできた。
その石田先生が駒場を去られる。それは研究科や専攻や部会にとっても大きな喪失であるが、何よりまずは「この私」にとっての喪失である。そして私以外にも多くの方が個々の思いを持ちながらも同じように先生のご退職を受け止めている。結局のところ、石田先生とはそのようなお人柄なのだ。
(国際社会科学/国際関係)
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