教養学部報
第670号 ![]()
第七十六回駒場祭
小粥太郎
二〇二五年十一月二十二日(土)から二十四日(月)にかけて、東京大学駒場キャンパスで駒場祭が開催された。好天が続き、多数の来場者に恵まれた。関係者によれば、来場者数は、昨年の七万八千人から増え、九万人に達した可能性があるとのことである。開催期間中のある日、駒場東大前駅を降りてキャンパス正門から入場すると、来場者とこれを迎える学生たちでたいへんな賑わいだった。 拡声器や電気楽器の音が混然と響き、 連なる屋台から甘辛いソースが焦げるような匂いが立ちのぼり、いかにも大学祭という感じであった。それ以上に駒場祭にどのような特徴や魅力があるのか。着任して五年少々の教員である筆者には、よくわからない。そこで、駒場祭委員会の企画による学生座談会「駒場祭のつくりかた」を視聴してみたところ、プラネタリウム上映企画、窯焼きピッツア提供企画について、当事者が企画の背景などを語っていた。それによれば、プラネタリウムは地文研究会天文部が一九八〇年ころから、毎年、改良に改良を重ねたもの。窯焼きピッツア(窯から自作しているとのこと)は、イタリア語のあるクラスの企画で、二〇二四年、二〇二五年も学年を超えて継承され、新たな伝統になりそうなもの。自由で魅力的なアイデアを出し、当日の企画展示に向けて知力行動力を結集する。アイデアが良ければ良いほど、その実現の過程が楽しく、仲間との友情も育まれ、また、来場者にも喜んでもらえる。これらすべてを高いレベル─ノウハウが継承されることによりさらにレベルが上がる─で実現できるのが「東大生らしさ」であり、それが駒場祭の特徴ないし魅力を作り出す、ということのようだった。
他方で、第二グラウンドの南端では、馬術部による乗馬体験企画のために連れて来られた一頭の馬(本物!)が佇んでいたり、第二体育館では、広々としたスペースのなかで、射撃部による射的、軟式野球サークルによるストラック・アウトなど、昔ながらの(?)企画も行われていた。これらの企画の会場付近では、子ども連れの来場者が目立ち、こうしたことも、駒場祭の魅力に加えてよさそうに思われた。企画・展示の総数は、パンフレットの索引から察するに五百を上回るようであり、この規模感も、もちろん駒場祭の魅力であろう。「東大生らしさ」とは直接関係しないのかもしれないが、キャンパスの広さや企画・展示の数の多さの影響で、結果的にそれぞれがそれぞれに楽しむことが容易になる環境が生じているようであることも、大切なことではないかと思う。
ところで、教養学部報で駒場祭について語るのであれば、忘れてはならないのが、駒場祭委員会の存在である。委員会は、委員長の下、九つの局・約二百五十名の学生から成り、駒場祭開催期間中は、さらに約百五十名のOBOGらも加わり、駒場祭の実施を支えていたとのことである。筆者は、教職員から構成される学生委員会の委員として、駒場祭委員会の面々と数回にわたり折衝する機会があったが、多数の参加団体を束ね、大学側だけでなく外部との調整も行う手腕に、感心させられることが多かった。とある案件で駒場祭委員会に対して費用負担を求めた際には、場を取り仕切る駒場祭委員会の某局長から、その問題についてはまず財務局で検討した上で次回以降に財務局長から説明させていただく、との発言があり、後日ようやく登場した財務局長からは駒場祭委員会の財務状況がいかに厳しいかについて非常に丁寧な説明が行われるなど(駒場祭委員会による費用負担は難しいということの婉曲的な表現だったようだ)、彼らは、学生の利益のために動く、タフな交渉相手であった。他にも、火災予防、ステージ企画の安全確保、ごみの分別・回収、洗い場の排水管理、教室の原状回復等、様々な課題について、丁寧に対応する様子を見聞きした。駒場祭委員会のみなさんの尽力に、敬意を表したい。
筆者としては、今後も、駒場祭が、駒場の学生たちにとって、楽しい機会を提供する場であり続けることを願っている。もっとも、学生委員会では、コロナウイルス感染症による影響を脱して再び拡大傾向が見られる駒場祭の規模をどの程度のものとすべきかについて、そろそろ自覚的な検討を行うべきではないかという意見、また、駒場祭委員会がミス・ミスターコンを開催する団体の参加を許容することを憂慮する意見などが出ている。これらの意見は、駒場祭委員会に伝えられる。
さいごに、東京大学の一構成員として、三日間のお祭り騒ぎを見守ってくださった近隣の方々に感謝を申し上げたい。また、京王電鉄が、井の頭線の運行について、普段は急行電車が通過する駒場東大前駅に、開催期間中の午後四時ころから七時ころまで、上り下りの急行電車を停車させるという配慮をくださったことも記して感謝したい。
(学生委員会委員長/国際社会科学/法・政治)
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