HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報670号(2026年2月 2日)

教養学部報

第670号 外部公開

<駒場をあとに> 偉大なるノイズ

池上高志

image670-02-1.jpg 駒場には助教授・教授として三十年いたことになる。人工の生命現象を考えることで「生命とはなにか」を論じていく─それが一貫した自分のテーマだった。そのまとめは最終講義で話すとして、ここでは別の話、なぜ僕がアートと関わることになったか、などそのへんのことを中心に書いておきたい。

 最初のきっかけは、アーティストのカールステン・ニコライだった。彼が僕の論文をたまたま読み、日本まで会いに来てくれた。駒場のオフィスで「これが僕の作った音楽だ」とDVDを差し出され、その場で再生すると、プチプチ、プチプチというノイズのような音しか聞こえない。僕は反射的に「悪いけどこれ、壊れてるよ」と言ってしまった。すると彼は少し申し訳なさそうに、「いや......それ、壊れてないよ......」と返した。これがノイズ・ミュージックとの出会いだった。

 僕の論文は、マシーンとテープの進化の話である。ランダムなノイズによるテープの書き換え(変異)が、マシーンによる積極的な書き換えへと〝翻訳〟される。自己複製が集団としての自己複製へと進化する─そんな内容だった。カールステンのノイズは、確かにこの「積極的書き換えのノイズ」の無限ループに通じていた。

 カールステンと意気投合し、ワタリウム美術館での彼の展示「AUTOPILOT」を手伝ったのが二〇〇二年。僕にとって、アートに関わった最初の経験はたぶんここにある。中谷宇吉郎の雪の結晶の作り方を伝えたり、科学技術館からウィルソンの霧箱を借りてきたりした。展示の準備というのは、研究とはまた違う手触りのある時間が流れていく。それが楽しかった。

 彼と出会ってしばらくしてから、今度は作曲家でありアーティストでもある渋谷慶一郎と、ソニーCSLで出会った。帰りの電車の中で、僕らは新しい音楽の可能性について話し続けていた。二〇〇五年のことだから、いまからちょうど二十年前になる。その年の十二月には、レクチャーと演奏を組み合わせた発表を、初台のICCで行った。同じ場で、「記述不安定性」という作品も発表した。僕のアーティストとしてのデビューは、ここから始まったかもしれない。ただ、自分のことをアーティストだと思ったことは一度もない。

 二〇〇八年に渋谷さんは奥さんを亡くし、それ以後、彼の作品は死というテーマに強く引き寄せられていった。生きものには不可避な死がやがて訪れる。僕もまた、「かけがえのない人の死」について、二〇〇四年ごろから考えざるをえなくなった。父が原因不明の病を患ったからである。年を取るのは、体内の時計だけで進むものではない。外部の出来事が、ある瞬間に人を一挙に老いさせる。核融合研究を推し進めた物理学者である父は、懸命の治療にもかかわらず二〇一六年に亡くなり、一番の相談相手をなくした僕は、がくんと年を取った。

 その年、阪大の石黒浩さんと出会い、アンドロイドALTERの研究が始まった。二〇一八年にALIFE(人工生命)の国際会議を東京で主催した際に、久しぶりに渋谷さんと"Scary Beauty"という、ALTERが指揮者となって人間のオーケストラを率いる作品を制作した。それは、人間と機械の境界を確かに揺さぶるものだった。

 二〇二三年になると、研究室では、LLM(大規模言語モデル)とALTERを接続して、言葉でALTERが動いた時、世界が急展開した。ALTERは、自分の手を見て、自分の手かどうかを答え、自発的に行動する。これは、 僕にとってはすでに生命に限りなく近い。かつてロスアラモスで始まったALIFEが、僕の中で一つ輪を閉じた─そんな感覚があった。だから僕はあえて言い切っておきたい─ALIFEは、その最初の使命を終えた。

 振り返れば二十八歳の時に、そのニューメキシコ州のロスアラモスに金子邦彦さんを訪ねた時から、ALIFE研究者としての僕の人生が始まったように思う。CNLS(非線形科学研究所)へと毎朝通う橋の上から見る広大な青い空には、色々な形の雲が浮かんでいて、全く見飽きるということはなかった。いまもその時の風景をTalking Headsの歌とともに思い出す。もしあの時、あそこに行かなかったら、いまの自分はないだろう。それを思うと金子さんに感謝せずにはおれない。

 今年、渋谷さんもまた、LLMアンドロイド"Maria" を制作し、ようやくテーマが死から生へと展開し始めた─僕にはそう感じられる。大阪では万博が開かれ、僕はパソナ館で作品を展示する機会を与えられた。そこで、地層を十三層積み上げた、高さ十メートルに及ぶ「生命進化の樹」を制作した。足元のあわせ鏡で作った〝生命誕生前の海〟から、第二層以降の生命進化の歴史をつなげる第一層の地層、ここに自分の研究モデルを三つほど埋め込んだ。その一つが、かつてカールステンが興奮して駒場に駆け込んできた、ノイズから始まる進化のモデルであった。

 駒場で三十年、僕は人工生命の研究を通して生命の輪郭を追い続けてきた。これから駒場を離れても、その問いは終わらない。むしろLLMが機械に言語を与え、新しい知性の歴史が始まろうとするこの時代に、問いもまた新しくなる。

 駒場で出会った学生や同僚たちとの議論─講義後のやり取り、ゼミの雑談、研究室のホワイトボードの前の立ち話─が、僕の時間を刻んできた。研究のアイディアは、大学の部屋で一人で論文を読んでいて浮かぶものでもない。いつも学生との雑談が大事だった。そうした〝ノイズ〟の存在こそ、大学で研究する価値だと思う。次の場所でも、新たなノイズを、それによって生まれる生命の理論をもう少し追いかけてみたい。

(広域システム科学/物理)

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