HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報670号(2026年2月 2日)

教養学部報

第670号 外部公開

<駒場をあとに> 桜と銀杏

瀬川浩司

image670-04-1.jpg 一九九五年春、教養学部に助教授として着任することが決まった。当時の教養学部は、大学院重点化の流れの中にありながらリベラルアーツ教育を維持する「教養学部」として存続し、日本の将来を担う教養人を輩出するという役割を自らに課し、教養・学部・大学院の三層全ての教育の重い負担を抱えながらも、当時ベストセラーになっていた『知の技法』に代表されるように新しい知を求める多彩な研究者が自由を謳歌する、大学の理想形のように見えていた。着任の日、テニスコート脇の染井吉野も八重桜も珍しく同時に満開で、とても晴れやかな気持ちになったのを覚えている。

 ところが......である。着任が決まった後、大学院時代の恩師(東大名誉教授)から「これも、運命だね。」と言われた。また当時の所属研究室の教授が学科の重鎮に呼び出され、私の転出人事について激怒されたと聞いた。そして着任早々目にしたのは、駒場寮廃寮問題に揺れる教養学部......惨憺たる状況だった。あまり思い出したくもないが、荒れる寮生とその学外支援者たちに対峙するため学部長室から連絡が入り、新人の私も含めて多数の教員が動員されるのである。今ではとてもあり得ないことが当時の駒場では起こっていた。そうか。このことか。着任までは教養学部の現場で何が起こっているのか、知る由もなかった。この動員には、前述の知の技法の執筆者も含め駒場の著名人が貴重な時間を割いて多数参加していたのには驚いた。

 そんな中、当時の学部長から学部長補佐の依頼が来た。当時は学部長の下に文系評議員と理系評議員が一人ずついるだけで、現在のような副研究科長や研究科長特任補佐のような役職は無く、かなりの仕事を学部長補佐がこなしていた。「着任早々の私には無理です。」と一度はお断りしたものの、翌年再度の依頼が来て仕方がなく引き受けることにした。しかしそれからが予想以上に大変だった。連日続く学生との交渉や学部長室での方針検討、時にはガードマンを導入しての工事やマスコミ対策。一つ対応を誤れば学部長の首も飛びかねない緊張の毎日だった。騒ぎを聞きつけた在京のテレビ局が正門に殺到するなか、学部長からの指令で正門前に立つこともあった。幸い私はメンタルが強いほうなので何とか耐えたが、さまざまな出来事の中で教員や職員の中には心身を病むものも出た。当時の駒場の構成員は、とても多くを犠牲にしていたのである。そして漸く二〇〇一年、駒場寮明け渡しの強制執行が行われ全てが終わった。

 そして我に返ると、研究に必要な時間が十分に取れず学会からは遠ざかり、研究者としては殆ど終わってしまったような自分がいた。今から考えれば、着任後のわずか六年ほどだったのだが、当時の私にはとても長い期間に感じられた。この頃の教養学部の研究環境は学内最悪の状況であったと言って良いだろう。その立て直しに向けて学部長室に将来構想委員会が作られ、助教授では私だけがメンバーに入った。3号館改修やアドバンストリサーチラボ建設、駒場ファカルティハウス建設と学内レストラン誘致など駒場の環境改善に汗をかいた。間もなく国立大学法人化の波が来て、教養学部として初めての中期目標・中期計画を纏めることになる。そして、個別の教員評価も始まる。このような締め付けで大学教育が良くなるとはとても思えなかったし、法人化によるメリットなど微塵もなく、実際にこの改悪で日本の大学の研究力は大きく落ち込むことになった。結局、大学の研究力向上は「如何に個の力を高めるか」が重要なのであって、大学組織はそれをサポートする側に徹するべきだろう。研究力向上に大学のトップダウンなど全く無意味だし、執行部が強い力を持てば持つほど個々の研究者は消耗し研究力も低下する。無論リベラルアーツ教育も成り立たなくなる。大学組織はいったい何のためにあるのだろうか。もう良い。ここからは組織に頼らず自分の力だけを信じて前進することだけを考えた。研究では光化学分野の特定領域研究の立ち上げと事務局を担い、基盤研究AやNEDOプロジェクトを受け、助教授としてできる限りのことはやったと思う。そして二〇〇六年、還流人事で先端科学技術研究センター(先端研)に異動(大学院は総合文化研究科広域科学専攻を兼務)することになった。

 先端研では同じ大学とは思えないほど文化が違っていた。とにかく研究第一で、無駄な会議はやらないし、ブランクを取り戻す絶好の機会に恵まれた。二〇〇九年には内閣府最先端研究開発支援プログラム(FIRST)の30課題の一つ有機系太陽電池分野の中心研究者(研究代表者)に選ばれた。そして今、世界を席巻しているペロブスカイト太陽電池がこのプロジェクトから生まれた。このFIRSTの成果を実用化につなげるため二〇一二年に経済産業大臣の認可を受けて有機系太陽電池技術研究組合を設立。同時に教養教育高度化機構のなかに環境エネルギー科学特別部門を立ち上げた。二〇一六年に、総合文化研究科広域科学専攻に帰任してからも、有機系太陽電池のNEDOプロジェクト四件の研究代表者やグリーンイノベーション基金三件の研究代表者をこなした。結局役に立つのは「個の力」である。

 政府の委員関係では、総務省の独立行政法人評価、日本学術会議の東日本大震災復興支援、経産省の大型蓄電システムや風力発電用送電網などの整備ほか、他省庁の委員会にも一本釣りで参加し、多少は国の政策実現に貢献できたかも知れない。しかし、忙しくなればなるほど時間がたつのは早い。気が付けば定年を間近に控え、やり残したことがあまりにも多すぎる。特に、理系新研究棟を建設できなかったのは心残りだ。これから来ることが予想される荒波に、駒場は耐えられるのだろうか。駒場はもっと「個の力」を高められるように環境を整える必要がある。それは結果として駒場全体の力を高めることになる。きれいに紅葉した銀杏並木を見ながら、必死に散らないようにしがみついている一葉に、自分の姿を重ねている。

(広域システム科学/化学)

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