HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報670号(2026年2月 2日)

教養学部報

第670号 外部公開

<本の棚> 原和之、荒谷大輔、福田大輔、今関裕太 著『詳解 ラカン『サントーム』ジョイス・結び目・精神病』

森元庸介

image670-04-3.jpg 「難解な」をいわば枕詞とする二〇世紀フランスの精神分析家ジャック・ラカンが四半世紀以上にわたって継続した『セミネール』のうち、晩年のとりわけ重要な達成『サントーム』(一九七五~七六年)についての共同研究の成果が本書である。共著者のうち三人が分担執筆した全一〇講の「詳解」に加え、中心的な分析対象とされた作家ジェイムズ・ジョイスについて、専門研究者による精細な事項注釈が付されている。手軽な入門や簡便な要約から遠く、むしろ迷宮の奥行きと拡がりを浮き彫りにするかのような稀有の探索の試みに心からの敬意を表する。

 タイトル『サントーム』は、「症状」を意味するフランス語symptômeの古形sinthomeに由来する。書き換えが狙うのは、同音の表現saint homme(「聖人」)を(付随的に)経由しながら、人間、あるいは無意識の主体にともあれ一定のまとまりを与え、精神病(狂気)へ陥ることを現に妨げているものが何であるのかを差し留めることである。地口にすぎない、といえば話は終わる。精神分析にとって「機知=言い違い」──言表から浮かぶ、「意味」に還元されない「効果」──が核心的な重要性を帯びるものであったこと、症状それ自体を治癒への手がかりと捉えたフロイトの知見を独自に展開する試みとともに、ひるがえって、個々の主体がまとまりとして存する──ほどけてしまっておかしくないものがそうなっていない──ことそれ自体が謎として浮上させられていることを確認したい。

 主体のまとまりが現実界、象徴界、想像界という三つの境位──それぞれの定義については読者の理解にゆだねる──の結い合わせから成ることは、先行するセミネール(『アンコール』、『R.S.I.』)で、分析の文脈とは別にもよく知られるボロメオの環(三つの円環の結ばれ)の形象とともに追究されてきたが、『サントーム』は、その環をいったん解けた──結ばれぬまま単に重なった──状態へ仮想的に差し戻したうえで、それが結われてあるメカニズムを改めて問うている。ボロメオの環が三つの(理想的=厳密な)円によっては成り立たないことを思い起こす必要があるだろうか。常套的な解決のひとつは、それぞれの円を楕円とみなすことだが、ラカンはそうではなしに、結い合わせを成り立たせる第四の輪を想定する(本書の口絵に即するなら、図2(三つの円の解け)から図1(その結い)への(本来は不可能な)移行を、図3(第四の輪の導入)が説明する)。乱暴にいおう、「三」はそこに書き込まれていない「四」を組み込んでのみ成り立ち、その第四の輪がサントームである。

 説明になっていないだろうが、精神分析はそもそも「説明」と別の営みであり、代えて挙げるべき実例/症例がジョイスである。かれのエクリチュール(書くことの実践)は執筆言語であった英語の規範を著しく壊乱するが、惹句のようにしていわれるその超絶的な言語遊戯は、ここで、それなしには作家が沈んだかもしれない端的な狂気への堰き止め──本書の語彙に即するなら(結い違いに対応する)結い直し──の稀有な実例として、だから、実存の問いとして問われている。実存(existence)とは、やはりラカンに即するなら外に立つ(ex-sister)ことであるが、その「外」は狂気とのへりを決して離れはしない。ジョイスの実践は、その縁を徹底してドライブする、こよなく危うい、だからこそ貴やかなサントームそのものであった。

 ボロメオの環の展開と含意についてはもちろん、ジョイスと「父‐の‐名」のこと、ひるがえって、書くことと女性性の関係等々、触れようもなかったことばかり多いが、最後に一言だけするなら、冒頭、ジョイスの「サントーム」が「躁状態(manie)」といわれることが印象深い。ひとはおのがじし「症状」を抱えながら、それぞれの実践の徹底をつうじて──ジョイスのようにでなく、しかし、ジョイスのように──それをサントーム、あるいは喜ばしい狂奔へ鍛え上げて生きられるはずだ、という促しをつい聞き取るからだ。

 縺れに縺れながら不思議と朗らかさに包まれたセミネールへの、語の本来の意味での手引きがなにより若い読み手のもとへ届くことを願う。

(超域文化科学/フランス語・イタリア語)

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