教養学部報
第670号 ![]()
<送る言葉> 宇佐美洋先生を送る言葉──お世話になった三年間を振り返って
本林響子
私が東大駒場で宇佐美先生とお仕事をするようになって三年目が終わろうとしている。僭越ながら「送る言葉」を執筆させていただくことになり、宇佐美先生との時間やそこから学ばせていただいたことをあれこれ思い返している。
研究においては、「言語そのものだけでなく言語を使う人間の研究者でありたい」とのお話が非常に印象的であった。そのようなご発言に違わず、宇佐美先生の人間に対する眼差しは、いつも穏やかで温かい。宇佐美先生の口から人を貶めるようなことばを聞いたことは一度たりともないし、思いやりをもって人のために労を惜しまず動こうとされるお姿が印象に残っている。学生にも、同僚にも、非常勤講師の先生方にも、何かあった時にはそれぞれの事情を慮りながら丁寧に最善の道を探ろうと尽力なさるご様子を、私は何度も目にしてきた。学内においては副専攻長をはじめ様々な役職を通じて大学組織に貢献され、学外においても、あの学会でも大会委員長、この学会でも大会委員長、と八面六臂のご活躍を目にすることとなった。人望、ということばを体現されたようなそのあり方は、私の中に敬意と感謝の念を生じさせるものだった。
しかしこうしてつらつらと書いてはみたものの、どうも何かが足りない。宇佐美先生はどのような方かと問われて、親切で、人望があって、心の温かい方ですと述べることは間違ってはいないけれど、それだけでは伝わらない何かがあるように思う。伝えるべきはきっと、これらが全て、高い知性に支えられた寛容さのようなものの発露に過ぎない、という側面なのだと思う。他者の置かれた状況を想像し、その立場を理解しようとし、物事の一面的理解に基づく安易な判断や非難をもって「解決」としない強さ。熟考し、熟議し、簡単に何かを切り捨てることなく、粘り強く「皆」や「あなた」にとってより善い方向性を目指す姿勢。それを支えるものとしての知性。それが宇佐美先生の笑顔の裏に存在していたものであり、私が学ばせていただいたものだと私は思っている。
東大駒場を彩る様々な知性のかたちに同じものは二つとない。そのような中で宇佐美先生が表現される知性のありようが私にとって非常に印象深く学び多いものの一つだったことは間違いない。そのような知の在処がお隣の研究室であったことは私にとって僥倖であったし、それがお隣の研究室から少し遠くへ行かれるというのはやはり寂しいとも思う。実際的な意味でも、東大駒場という新しい環境に移ってきた私自身にとって、宇佐美先生の存在がどれだけ助けになったか計り知れない。どんな質問にも丁寧に的確に答えてくださり、私はわからないことがわかるようになるだけでなく、自分はここで受け入れてもらえているのだという安心感を得ることができた。部会と専攻が同じである唯一の教員として、宇佐美先生には本当にお世話になった。まだまだ一緒にお仕事できるはずだったのにと思わなくもないけれど、実は次に目指すものについてお話を伺った際、宇佐美先生らしいと思ったりもした。大変僭越ながら、次のステップについても心より応援しております。どうもありがとうございました。
(言語情報科学/日本語)
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