教養学部報
第670号 ![]()
免疫の均衡を守る細胞:Tregの発見(2025年ノーベル生理学・医学賞)
瀬尾秀宗
二〇二五年のノーベル生理学・医学賞は、制御性T細胞(regulatory T cell, Treg)の発見と機能解明に対する貢献により、坂口志文氏、メアリー・ブランコウ氏、フレッド・ラムズデル氏の三名に授与された。免疫分野での坂口氏の受賞は、一九八七年の利根川進氏、二〇一八年の本庶佑氏に続き、日本人として三人目である。
我々の体は細菌やウイルスといった病原体や化学物質など様々な異物にさらされているが、体内に侵入した異物を認識し、排除するのが免疫系の役割である。一方、たとえば自己免疫疾患が自分自身の細胞を免疫系が攻撃する病気であることからもわかるように、免疫による攻撃力が強すぎることもまた危険といえる。ヒトの血液中のT細胞(免疫系の中核を担う白血球の一種)には一定の割合で自己抗原に反応するものが含まれるが、自己免疫疾患にかかる人はそこまで多くはない。その大きな理由の一つとして、T細胞の一種であるTregがそうした自己反応性のT細胞の増殖や活性化を抑制していることが挙げられる。従来の免疫研究は、ウイルス感染細胞などを直接攻撃する細胞傷害性T細胞(いわゆるキラーT細胞)のような「攻撃役」の免疫細胞に関する研究を中心に発展してきた。Tregの発見は、免疫の「ブレーキ役」としての概念を確立したという点で免疫学の歴史において画期的な業績である。
自己免疫疾患がなぜ起きるのか? その仕組みに興味を持った坂口氏は、「胸腺を摘出したマウスは自己免疫疾患のような症状を示す」という先行研究に注目した。胸腺はT細胞が作られる臓器である。坂口氏は、この胸腺を摘出したマウスに正常なマウスから単離したT細胞を補うと、自己免疫疾患の症状が無くなることを発見した。これにより坂口氏は、胸腺由来のT細胞の中に、免疫を抑制する細胞が含まれているのではないか、と着想した。そして地道な研究の結果、細胞表面にCD25というタンパク質を提示しているT細胞が免疫を抑制していることを明らかにした。さらに、このCD25を表面に提示しているT細胞をマウスから除去すると自己免疫反応が起こり、その後またCD25提示細胞をマウスに戻してやると症状が無くなることを見出した。すなわち、Tregの存在を実証したのである。Treg発見の意義は、ブランコウ氏とラムズデル氏によるFoxp3(forkhead box P3)遺伝子の発見で、より確固たるものになった。彼らは、重篤な自己免疫症状を示すマウスであるScurfyを解析し、その原因遺伝子として転写因子(様々な遺伝子のオン・オフの切り換え役となる因子)のFoxp3を同定し、Foxp3を欠損したマウスが致死的なリンパ球の増殖や全身炎症など、典型的な自己免疫症状を示すことを二〇〇一年に報告した。同年、彼らはヒトの重篤な自己免疫疾患であるIPEX症候群の患者の遺伝子を解析し、Foxp3の欠損が原因であることも明らかにした。これによりFoxp3がヒトにおいても自己免疫を抑制する役割を果たしていることが示されたわけである。また、ラムズデル氏はTregの発生・機能にFoxp3が必須であることを示し、Foxp3がTregの司令塔として細胞の性質を決めるものであると明らかにした。
実際にTregがどのようにして免疫を抑制しているかについては、いくつかのメカニズムが明らかになっている。一部を挙げると、⑴ 抑制性サイトカイン(免疫細胞の働きを抑制するタンパク質)を分泌して周囲の免疫細胞を抑制する、⑵ 一部の免疫細胞と結合し、その機能を弱める、⑶IL─2と呼ばれる、免疫細胞を活性化するタンパク質を前述のCD25によって大量に吸収し、免疫細胞の活性化を抑制する、⑷ 免疫細胞を直接攻撃して殺傷する、といったメカニズムである。このように、Tregは多層的に周囲の免疫細胞にブレーキをかける能力を持っているのである。
Tregの発見は基礎生命科学上の偉大な業績であるだけで無く、医療の発展に多大な貢献をしつつある。免疫系の過剰な反応は自己免疫疾患やアレルギーの原因の一つであることから、たとえばTregの働きを増強することで、こうした疾患の治療に役立つ可能性がある。さらに臓器移植時の拒絶反応は、他人の臓器由来のタンパク質に対して起きる免疫反応が原因であることから、Tregを活性化することで拒絶反応の抑制が可能になるかもしれない。また、がん治療への応用も期待されている。放射線や活性酸素などの要因で年齢によらず我々の体内では日々多数のがん細胞が生じているが、すぐにがんになることはない。これは免疫細胞ががん細胞を異物として認識し、そのほとんどを排除しているからである。ところがTregが免疫反応を抑制することで、結果として免疫系によるがん細胞の排除をも抑制していると考えられる。そこでTregを減少させる、あるいは選択的に除去することにより、免疫系によるがん細胞への攻撃を増強するがん治療法の実現が期待されている。こうしたTregを利用した治療法の開発は、大手製薬企業だけでなく坂口氏らが設立したベンチャー企業RegCell社やラムズデル氏らが起業したSonoma Biotherapeutics社などを含め世界各地で活発化しており、今後の進展に期待したい。
なお、Tregの発見は本庶氏らがノーベル生理学・医学賞を受賞する対象となった「免疫チェックポイント」の発見とも大きく関連している。免疫チェックポイントは、T細胞の表面タンパク質PD─1が自己細胞の表面タンパク質PD─L1と結合することで、免疫系による自己細胞への過剰な攻撃を減弱する仕組みを指す。これはTregと同じく免疫の「ブレーキ」として機能するわけだが、中身は大きく異なる。PD─1はT細胞表面にあるスイッチが自己細胞からのシグナルにより個々の細胞ごとに制御される仕組みであるのに対し、Tregは抑制作用を有する細胞そのものが周囲の免疫細胞を制御する仕組みといえる。
今では世界中で高く評価される坂口氏の業績も、当初は苦難の連続であった。期待した研究成果がなかなか出ないことに加え、過去にTregとは似て非なる「サプレッサーT細胞」という概念が提唱され、その後否定されたという経緯もあり、長きにわたり「眉唾」との評価がつきまとっていた。様々な苦労、批判、中傷に負けることなく真実を解き明かした坂口氏の執念こそ、研究者の矜持そのものといえよう。
(生命環境科学/生物)
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