HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報670号(2026年2月 2日)

教養学部報

第670号 外部公開

MOFが拓くナノ空間科学~2025年ノーベル化学賞

内田さやか

 二〇二五年のノーベル化学賞は、「金属有機構造体(MOF)の開発」の功績により、京都大学特別教授の北川進博士、オーストラリア・メルボルン大学教授リチャード・ロブソン博士、米国カリフォルニア大学バークレー校教授オマー・ヤギー博士の三名に授与された。MOFは、ナノサイズ(1ナノメートルは1メートルの10億分の1)のジャングルジムのような構造をもつ化合物である。金属イオンと有機配位子(=金属イオンに手のように結合して骨格形成を助ける有機分子)を溶媒中で混ぜるだけで、規則的な骨格が自発的に組み上がり、分子サイズの空孔が無数に形成される(図参照)。原料の種類を選べば空孔のサイズや形状を自在に制御でき、そこに多様な分子を取り込むことができるため、気体の吸着や分離などへの応用研究が精力的に進められている。

image670-07-1.jpg

 MOFの空孔を初めて活用したのはロブソン教授である。一九九〇年にロブソン教授らは、銅イオンを正四面体状に四つの手をもつ有機配位子と組み合わせることで多孔性結晶を合成し、その空孔に含まれる陰イオンが別種の陰イオンと交換可能であることを発見した。続く一九九五年には、ヤギー教授がこれらの化合物群をMOFと命名し、空孔の機能に焦点を当てた研究を展開した。またヤギー教授はその後、有機分子のみからなる多孔性結晶(COF)の開発にも成功し、分子性ナノ空間材料研究の開拓者となった。

 MOF研究が大きく花開く契機となったのは、一九九七年に北川教授らが大量のメタンを吸着するMOFを報告したことである。当時、合成後のMOFの空孔に存在する溶媒分子を取り除くと骨格構造は崩壊する、というのが一般的な常識であったため、この成果には疑問が寄せられた。しかし、ナノ空間を安定に保持したまま自由に設計できることを示した点で極めて革新的であり、MOF研究の地平を切り開く転機となった。ゼオライトや活性炭など従来の多孔性材料が空孔設計に限界をもつのに対し、MOFでは金属イオンと有機配位子の組み合わせがほぼ無限に存在し、これまでに合成されたMOFは十万種類を超える。

 MOFの大きな特徴は、有機配位子の性質を活用することで、空孔内に特異的な吸着点を合理的に設計できることにある。たとえば、銅イオンと二種類の有機配位子からなるMOFは、性質の似通う二酸化炭素分子とアセチレン分子を識別し、二酸化炭素の三十倍近くの量のアセチレンを吸着する。これは、有機配位子に組み込まれた二つの酸素原子が水素結合を介してアセチレン分子を両側から捉えるためである。このMOFを用いると、通常は加圧すると爆発しやすいアセチレンガスを、爆発限界の二百倍に相当する量まで安全に吸着できる。

 さらに、本学工学系研究科の藤田誠教授らは、このMOFを応用した「結晶スポンジ法」というX線構造解析法を開発した。従来のX線構造解析では分子自身を結晶化する必要があり、大量の試料と結晶化条件の検討が不可欠であったが、結晶スポンジ法では、規則的な細孔をもつMOF結晶に対象分子をスポンジのように吸着させ、空孔内に整列した状態でX線回折を行うことで、極微量(マイクログラム以下)の試料から液体・油状物質を含む多様な分子の立体構造を高精度で決定できる。この手法により、生体内で微量しか得られない代謝物や医薬品候補化合物の構造解析にも成功している。

 北川教授は、荘子の「人皆知有用之用、而莫知無用之用也」――すなわち、一見役に立たないように見えるものこそ大きな価値を生みうる、という思想に強く影響を受けて研究を進めてこられた。北川教授らが構築した多孔性結晶の概念は、まさにこの「無」である空間を設計し、そこから新たな「用」を引き出すものである。また、北川教授は、無機化学・錯体化学を専門とされているが、門下生の活躍分野は極めて幅広い。私の同僚である桐谷乃輔准教授(相関・化学)は北川研究室で博士号を取得した後、現在は半導体科学の分野で活躍されている。その多様性こそが北川教授そしてMOFの学問的な懐の深さである。遅ればせながら、私もMOFとは異なるが多孔性結晶の合成と機能を専門としており、『ナノサイエンスが作る多孔性材料』(シーエムシー出版)『超分子金属錯体』(三共出版)など、北川教授が執筆された書籍に共著者として参加している。教養学部には、多様性を尊重する雰囲気のもと分野横断的な最先端研究が展開され、基礎研究を重視しつつ産業界とも連携する環境が整っている。学生を含む若い皆さんには、この教養学部で「無用之用」を見出し、新たな価値の創造に積極的に挑戦してほしい。

(相関基礎科学/化学)

第670号一覧へ戻る  教養学部報TOPへ戻る

無断での転載、転用、複写を禁じます。

総合情報