HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報670号(2026年2月 2日)

教養学部報

第670号 外部公開

わたしが文化人類学者になったわけ──紫綬褒章を受章して

森山 工

 令和七年秋の叙勲・褒章にあたり、思いがけなくも紫綬褒章を受章することになりました。これもひとえに、教員・職員・学生のみなさんからの学恩を受けつつ、駒場という研究環境に育てていただいたおかげであると感じ入っています。深く感謝申し上げます。

 受章理由は「文化人類学研究功績」です。そこでここでは、わたしが文化人類学者に「なった」わけをお話ししたいと思います。

 高校生の時分です。わたしには音楽(西洋近代音楽)の楽理を勉強したいという思いがありました。単純にクラシック音楽が好きだったので。

 一九八〇年に本学に入学してからもその思いは残り、大学二年次の一年間、さる夜間の音楽学校(今は廃学しています)に通いました。楽理にかんする授業もありましたが、発声法や歌唱や合唱の授業などもあって、音楽大学に進むための予備校の、そのまた予備校のような位置づけの、そうであるがために多様な生徒が集う、自由な校風の学校でした。

 そこで作曲法と西洋音楽史を教えてくださったのが、作曲家で、今は九州大学名誉教授の藤枝守先生です。とくに藤枝先生の音楽史の授業は独創的で、過去から現在にいたる過程をたどるのでなく、現在から過去を振り返って展望するという逆照射の授業でした。授業で取りあげられるトピックや音源も、いわゆる現代音楽が中心でした。

 授業で藤枝先生が強調されていたのが、近現代の作曲家が既存の音楽語法をいかに相対化してきたのかということです。この「相対化」という観点は、わたしに大きな影響を与えました。西洋近代音楽の語法を相対化する。つまり、西洋近代音楽の語法を絶対視しないということです。そのためには音楽史学のように、時間軸の上で西洋近代を相対化することができます。他方で、現在も実践されている各地域の音楽語法を参照することで、西洋近代音楽の語法を空間軸の上でも相対化できるのではないか。

 そこでわたしは、民族音楽学(音楽人類学)に関心を惹かれたのですが、音楽のみならず、生活文化や社会構成の全般についても、この「相対化」が必要なのではないかと思うようになりました。わたしたちがごく自明のこととして(したがって、それ自体を意識化することなく)前提としている文化規範・社会規範の土俵を相対化すること。あえていえば、その土俵をひっくり返し、その土俵を異化しつつ、異文化・異社会と対峙すること。あるいは逆に、異文化・異社会と対峙することによって、その土俵を異化すること。

 ここまでたどってみれば、文化人類学という学術分野がわたしの目に止まるのは必然だったといえましょう。このためわたしは、大学院に進学するにあたって文化人類学を専攻することにしました。現在では総合文化研究科超域文化科学専攻の文化人類学コースとなっているところに進学したわけです。
さて、大雑把にいえば、文化人類学にも「理論」と「実践」とがあります。理論的な構想と実践的なケーススタディとを往還させることが求められます。たとえば修士一年生が、大学院ゼミで先輩格の大学院生を交えて討議する場を思い描いてください。理論的な射程を備えた思考力とともに、さまざまな地域の、さまざまなケースにかんする具体的な知識が闘わされる場です。わたしはここで、文化人類学で「喧嘩」するということを学びました。こちらから「喧嘩」を仕掛けることも、仕掛けられた「喧嘩」を買うことも。

 ただ、そのさいにゼミに参加する大学院生には、当時では二つのカテゴリーがありました。フィールドワークを終えて帰ってきた大学院生と、まだフィールドワークを経験していない大学院生と、です。それほどまでに、文化人類学の「実践」にとって、フィールドワーク経験は重要視されていました。わたしがそもそも文化人類学を専攻したのも、わたしたちが自明視している文化規範・社会規範を相対化するためでしたので、フィールドワークに赴くことは研究上の成り行きとして当然のことでした。ただ、自文化・自社会の相対化などと理屈っぽく考えているわたしには、どちらかというと理論志向があり、実践志向が希薄であったおもむきは拭えません。

 そのわたしを実践へ、つまりフィールドワークへと背中を押してくださったのが、わたしの指導教員の船曳建夫先生でした。船曳先生は、具体的なフィールド候補地を示唆することにより、わたしの背中を押してくださいました。そのとき先生が提案してくださったのが、マダガスカル(インド洋西域、アフリカ大陸の東南の沖合に位置する島国)です。わたしはこれに、いわば飛びつき、マダガスカルの文化人類学にかんする英語文献・フランス語文献を渉猟しつつ修士論文を執筆しました。博士後期課程に進学してのち、マダガスカル大学に留学するという資格でマダガスカルに渡航したのが一九八七年のことです。それからほぼ四年間をマダガスカルで過ごし、マダガスカル中央高地の農村地域でフィールドワークに従事しました。

 こうしてわたしは文化人類学者に「なった」のです。そこには、発端となるわたし自身の動機付けに加えて、指導者との偶然の機縁がありました。もちろん、マダガスカルでのフィールドワークの経過(ここでもまた人との機縁!)や、その後の博士論文執筆の過程などについても、文化人類学者に「なる」契機がたくさんあるのですが、それはわたしの論文や著書でご想像ください。また、本学ホームページに掲載された紫綬褒章受章のお知らせには、文化人類学コースの渡邊日日先生がわたしの研究動向について過不足のない的確な論評を寄せてくださっています(https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/research/systems-data/honors_2025_02.html#moriyama)。併せてご参照ください。

 ここまで書いて、来年度末(二〇二七年三月末)で定年を迎えるわたしにとって、『教養学部報』の〈駒場をあとに〉に書くべきこと、また最終講義なるもの(それをするとするならば)で語るべきことの多くを書いてしまった気がします。だから、もうこれでよいのではないですか、といいたい。それと同時に、このような研究者への「なり方」もあるということを、教員・職員・学生のみなさんとはご参考までに共有させていただきます。

(地域文化研究/フランス語・イタリア語)

第670号一覧へ戻る  教養学部報TOPへ戻る

無断での転載、転用、複写を禁じます。

総合情報