HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報671号(2026年4月 1日)

教養学部報

第671号 外部公開

だれでもいちどはここへ戻ってくる

教養学部長 寺田寅彦

image671-1-2.jpg 新入生の皆さん、東京大学ご入学おめでとうございます。心晴れやかに新しい出発点に立った皆さんに、教養学部の教職員を代表してお祝い申し上げます。

 学問を志す人々が集まる学校の最も高みにある大学を称して、最高学府と言うことがあります。皆さんはその門をくぐり、夢と希望に胸をふくらませて前を向いておられることと思います。しかし、皆さんが今まで通った学びの場は、ただの過去の遺物になってしまうわけではありません。わたくしは大学の教室に立つときに、よくひとつの詩を思い出します。

 ながいながい一生のあいだに/みじかいみじかい一瞬に/だれでも いちどは/ここへ戻ってくる/みんながいなくなった教室/さわるとつめたい 木の椅子に(岸田衿子「小学校の椅子」)

 成長の根幹にある幼少時代を、固く、しかしどこか心ひかれる木の手触りになぞらえて、人には自分の過ぎ越しかたを振り返る一瞬があることを見事に表現しています。座ってきた椅子の数、手を置いた机の数だけ学びは深くなります。大学という学びの場でも、椅子に腰を下ろし、机に向かって、志を同じくする仲間と切磋琢磨し、学生生活を堪能してほしいと思います。

 ただ、その学生生活は楽しいときばかりではありません。学びが高みにあるからこそ、辛く苦しいときもあるものです。一九五二年に教養学部長に就任した高木貞二は、翌年一月の『教養学部報』に「学生諸君に語る」と題して、自身がコーネル大学に留学したときの苦労を綴っています。

 「私は大学卒業後、一九一九年にアメリカに行き、コーネル大学の大学院にしばらく学びました。この期間の勉学は非常に有効であり、多くの大切なものを得ることができましたが、勉学そのものは苦悩の多い、骨身にこたえるものでありました。また新しい環境は多くの喜びや希望と共に多くの悩みや不安をもたらした。」

 新しいこと、それは知らない世界でもあるのです。門をくぐったときの期待に心労が、高揚感に苦悩の色が混じることは誰にでもあることです。このようなときに高木は、しばしば研究室を出て見晴らしのよい図書館裏の広場に足を運びました。小高い丘の上に建つコーネル大学からは、遠くに美しい湖水を見下ろすことができたからです。そして、そこに置かれたベンチには次のような句が刻まれていました。

"To those who shall sit here rejoicing,
To those who shall sit here mourning,
Sympathy and gree­ting;
So have we done in our time."

 高木は次のように続けます。「このベンチは一八九二年の卒業生が寄贈したものでありまして右の句の下にその寄贈者の名の頭文字が刻まれております。私はこの場所に立つ毎にこの句を読み、その見も知らぬ先輩の心に打たれ、多くの慰めと励ましを受けたのであります。」かのエドワード・ティチナーに師事し、慣れない土地での研究に刻苦精励する日々に、高木は幾度このベンチに腰掛けたことでしょうか。そして、過去・現在・未来を貫く同好の士が、同じ苦しみ、同じ喜びを味わっていることに励まされて、美しい湖水を遥か彼方にどれだけ眺めたことでしょうか。学びの場は孤独なものではありません。ひとつの知見は、多くの見えない研究者や識者によって支えられています。大学という場で、その重厚な時の流れを実感してほしいと思います。

 さて、この話には続きがあります。三十年の時を挟んで、高木は再びコーネル大学を訪れることになるのです。そのときのことを高木はこう記します。「コーネル大学に行つて私の最初にしたことは図書館裏の石のベンチを探すことでした。三十年前には小さい若木であつたその辺りの樹木は、今や枝をはり葉を繁らせ、よく見おろすことができた湖水も今はほとんど視界から消えております。しかし石のベンチは、繁つた潅木に半ば覆われてはいましたが、昔のままの姿でそこにあつたのであります。そしてそこに刻まれた言葉は、既に学生時代を遠く離れた白髪の、しかも異国からの学徒たる私に、やはり昔と同じように語りかけ、新しい意味をこめて同情と挨拶を送つてくれたのであります。」

 この「学生諸君に語る」が書かれた一九五三年の学生が、小学校の椅子に座り、学んだ時代は戦争の真っただ中でした。だからこそ大学に学ぶことがいかに喜ばしく、恵まれたことであるかを彼らは知っていたはずです。胸に秘めた期待もさぞかし大きかったことでしょう。しかし、たったひとつの真理を探究することも、その道は険しいものです。およそ尊いもの、高いものに至る道は遠いものだからです。しかし、孤独に見える学びの椅子を多くの先人たちが支えてくれています。長い時を経て、今、大学に入られた皆さんにとっても、それは同じことなのです。

 さて、わたくしは駒場キャンパスを歩くとき、豊かな自然と大きな木々に心を奪われることがあります。それらの樹木の中には、高木が学生たちに挨拶を送ったときにはまだ若木だったものもあるはずです。コーネル大学の緑がその枝葉を伸ばしたように、駒場の木々も大きく成長したのです。その堂々とした幹にふれるとき、かつて同じ学び舎に椅子を並べた本学の学生たちのことを思わずにはいられません。そしてその学生たちが、ながい一生のみじかい一瞬に、学んだ椅子に手を置くために戻ってくる場所がこの教養学部のキャンパスではないかと思います。皆さんにとっても、この学びの場がそのようなものとなることを願っています。

(総合文化研究科長/教養学部長)

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