教養学部報
第671号 ![]()
<本の棚> 三枝洋一 著『ラングランズ予想』
斎藤 毅
ラングランズ予想ということばを初めてみたという人も多いことと思いますが、現代の数論の中心的な未解決問題です。ラングランズ予想を定式化したR. P. Langlandsは、数学のノーベル賞といわれるアーベル賞を二〇一八年に受賞しています。ラングランズ予想は、ガロワ表現と保形表現の間に対応があるだろうという命題です。
この主役二人を簡単に紹介します。ガロワ理論ということばを聞いたことがある人もいるかもしれませんが、ガロワ群というのは例えば有
理数係数の方程式の解をすべて統制する対象で、ガロワ表現は線形代数を使ってこの群を捉えるものです。Δ(q)=qΠn=1∞ (1-qn)24はラマヌジャンのデルタとよばれる保形形式の一つですが、保形表現とはこのような保形形式を行列のなす群を使って捉え直したものです。
本来ならば、この力作で扱われている内容を正面から解説すべきところだとは思うのですが、この学部報の主な読者と思われる教養学部の一、二年生のみなさんには、もうお腹いっぱいという人も多そうな気がします。そこでラングランズ予想をめぐるお話をいくつか紹介することにしましょう。
数学に国籍はありませんが、ラングランズ予想の歴史には、みなさんの先輩にあたる東京大学の卒業生もさまざまな形で登場します。最初は、微積分の教科書のロングセラー『解析概論』の著者としても知られる高木貞治です。高木は、日本最初の世界的数学者ともいわれる数論の研究者で、その主要な業績が類体論とよばれる理論です。この研究は、第一次世界大戦中に欧米での研究の動向の情報が得られない中でなされたそうです。
ラングランズ予想の視点からみると、類体論はその1次元の場合にあたります。類体論以降、その高次元化は何かという問いが大問題だったのですが、その解答をガロワ表現と保形表現の対応という予期しない形で一九六七年にLanglandsが提出したことが、ラングランズ予想の出発点となったのでした。
次は志村五郎と谷山豊です。第二次世界大戦後の混乱を経て日本が国際的な数学界に本格的に復帰したといわれるのが、一九五五年に東京と日光で開かれた整数論の国際会議です。そこで谷山が問題として提出したのが、有理数体上の楕円曲線とよばれる数論幾何の対象が保形形式と結びつくだろうというものでした。谷山の定式化には漠然としたところがありましたが、志村は保形形式の研究を進めて正確な形を与えました。これをどうよぶのが正しいかについて議論がありましたが、現在では谷山―志村予想とよばれることが多いようです。ラングランズ予想の視点からみると、谷山―志村予想はその2次元の場合の一部にあたります。
フェルマーの最終定理という数学の有名な未解決問題がありました。これは一九九四年にWilesとTaylorによって解決されました。それ以前にフェルマーの最終定理は谷山―志村予想の特別な場合に帰着されていたので、この場合を証明することによって解決されたのでした。これはさらに拡張されて、谷山―志村予想そのものも二〇〇一年に解決されています。現在もその一般化がラングランズ予想の一部として活発に研究が進められています。
残念なことに谷山は若くして亡くなりましたが、志村はその後志村多様体など数論の研究で大きな業績を残しました。志村多様体はラングランズ対応の研究でも大きな役割を果たすもので、この本でも活躍するモジュラー曲線はその最初の例といえるものです。また、これも若くして亡くなられた方ですが、新谷卓郎の保形表現に関する研究がラングランズに大きな影響を与えたということです。
ラングランズ対応の主役は初めに書いたようにガロワ表現と保形表現ですが、ラングランズ対応を本格的に理解するためには数学のさまざまな分野にわたる知識が必要になることが、本の目次をざっとみるだけでも感じられることと思います。著者の三枝洋一先生は、東京大学での数論の研究の伝統を受け継いでこの分野の第一線で世界的に活躍する研究者で、その業績と経験に裏打ちされた解説と内容の適切な取捨選択によって、本書はこの重要な分野の最初でしかも最良の入門書となっています。この本をとおして現代の数学の最先端を自ら学ぶ人、あるいはそこで何が行われているのかに関心をもつ人が増えていくことを楽しみにしています。
(数理科学研究科)
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