教養学部報
第671号 ![]()
日本認知科学会のフェロー授与をうけて
植田一博
このたび、日本認知科学会よりフェローの称号を授与されました。フェローは、卓越した研究や学会活動・事業の創設を通じて学会の発展に多大な貢献を行った会員に贈られる称号です(https://www.jcss.gr.jp/fellowship/)。日本の認知科学研究の草分けである安西祐一郎先生(慶應義塾大学名誉教授・元塾長)や佐伯胖先生(本学名誉教授)、自然言語処理の草分けである故・長尾真先生(京都大学名誉教授)らと同じフェローに加わることができ、大変光栄に思っております。ご指導くださった先生方、共同研究者、研究室の院生・学生の皆様、そしてお世話になった方々に、この場をお借りして深く感謝申し上げます。
授与理由の詳細は学会ページ(https://www.jcss.gr.jp/fellowship/entry-469.html)に譲りますが、特定の研究が特に優れていたという理由で授与されたわけではないと認識しています。私の専門は人の所謂「思考(高次認知)研究」で、推論や判断・意思決定に限らず、アイデア生成などの創造的思考、認知活動に与える他者や社会の影響、集合知や人と人/人工物のインタラクション、珠算式暗算や速読、さらには文楽や能楽など伝統芸能における熟達化まで様々な現象に興味をもち、実験と計測を重ね、背景にある認知メカニズムを明らかにしてきました。そのことが総合的に評価されたのだと考えています。ただ、多様な研究をバラバラに行ってきたのではなく、認知は脳内での計算に基づくという「計算論的立場」を一貫してとってきました。近年、統計モデリングや機械学習が発展し、特に大規模言語モデル(LLMs)の使用には賛否があるものの、数理統計学や人工知能研究のお陰で、計算論に基づく認知科学研究(知能研究)を本格的に行える環境が整ってきたと感じています。昨年九月十三日のフェロー受賞講演では、過去の研究を整理しつつ、計算論的観点から人の認知や知能を捉える重要性を指摘し、「情報化・AI時代の人の知能研究」と題してお話ししました。以下、その講演内容を簡単にお伝えしたいと思います。
行動や脳を調べる実験・計測・解析手法が開発され、知見は急速に積み上がっていますが、認知メカニズムを直接観察できるわけではなく、得られたデータからモデルに基づいて推定しているのが現状です。例えば、意味ネットワーク(概念間の関連がネットワーク的に表現されうるという考え方)は行動学的・脳科学的知見と整合的で有力ですが、私の知る限り、脳内表現がネットワーク構造として実在することを示す決定的な証拠はまだありません。認知科学では様々な証拠から背景にある処理メカニズムを推定する必要があり、そのために統計モデリングや機械学習との比較検討が有効だと言えます。現在の人工知能は大量データから学習し(特定領域に限れば)人より高い精度で判断できることが示されています。一方、人の判断は合理的な解から逸脱しバイアスを示すことが多いと、二〇〇二年ノーベル経済学賞受賞者ダニエル・カーネマンらは指摘しました。しかし本当にそうでしょうか。われわれは、「情報が不足している場面で、状況に応じてそこそこ適切に処理する能力」こそが人の知能の本質であることを示してきました。異性の顔画像に対する他者の好みの推定では、ベイズ推定が精度で人を若干上回る一方、同じ精度の推定に必要なサンプル数は人の方が一桁少なくて済むことがわかりました。また、二つの都市(例えば、甲府市と北杜市)から人口の多い方を選ぶ課題では、カーネマンらがバイアスを生むと指摘するヒューリスティック(経験則や直感に基づき、時間や情報が限られた状況で素早く「ある程度正解に近い」解を見つけ出す思考法)のいくつかが、例えば、県庁所在地かどうか、新幹線が停まる駅があるかどうか、などの知識を用いて推定した場合と遜色ない精度を示し、かつ利用可能な場面が広いこともわかっています。こうした分析は、統計モデリングや機械学習との比較によって初めて可能になります。
LLMsの機構はわからないところも多いですが、概念の意味を、ある次元が特定の意味を表すように、何万以上という高次元空間に埋め込んでいると考えられています。これに対して人は、ハードウェア的限界からそのような高次元空間を扱えません。それでも人は、上述したヒューリスティックの利用などを通して、情報が不足している場面で、状況に応じてそこそこ適切に処理できていることが、LLMsとの比較を通して今後明らかになっていくと期待しています(実際、そういう研究は始まっています)。
私が博士課程時代に所属した研究室は認知科学を専門とはしていませんでしたが、指導教員の故・永野三郎先生は自由に研究をさせてくださいました。当然、「自ら調べ、自ら考える」ことが必要で、大変ではありました。いま研究室の院生学生にもそのように指導しています。この学部報を読まれている学生さんも、「自ら調べ、自ら考える」という姿勢で日々臨んでいただきたいと考えています。
(広域システム科学/情報・図形)
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