HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報673号(2026年6月 1日)

教養学部報

第673号 外部公開

<時に沿って> 三十年前の君へ

松井宏樹

image673-3-2.jpg 二〇二六年四月に大学院数理科学研究科に着任しました。専門は数学の中の解析学、とりわけ作用素環や位相力学系を研究しています。

 奈良県の高校を卒業したあと東京大学に入学しました。駒場での二年間の前期教養課程ののち理学部数学科に進みましたが、本郷に通ったのは半年間だけでした。というのもちょうどそのタイミングで、理学部数学科および大学院数理科学研究科が本郷から駒場に引っ越してきたのでした。したがって私にはほとんど本郷キャンパスの記憶はなく、東大と言えばまず駒場が思い浮かびます。修士課程を終えて京都大学の博士後期課程に入学し、学位を取り、二十四年ほど千葉大学で勤務しました。二十七年ぶりに母校に戻って来られたのは嬉しい限りです。

 小さいときから算数や数学が好きで得意でした。大学に入ってもっと勉強しようと最初は思っていたのですが、上京して初めての一人暮らし、サークルなどの刺激的な活動に夢中になってしまい、危うく留年するところでした。その前期課程の二年間は、ほんの一瞬の出来事だったにも拘わらず、私の記憶の中で今も眩しく輝いています。その時期に得た友人とは(最近はほとんど連絡を取っていないとはいえ)今でも強く繋がっているような感覚があります。進振りで数学科に進んでから少しは勉強するようになりましたが、四年次の研究室選択は何をどう選べばよいのか全く分からず、途方に暮れました。私は数学科では全く友人を作ることができず、孤立していて、誰にも相談できなかったのです。十分な数学の知識もなかった私は、仕方がないので、勘だけで研究室を選びました。幸いにもそこで私は、一生をかけてもよいと思えるほどに面白い数学に出会うことができました。豊かで、深くて、とてつもなく難しくて容易には人間を寄せ付けないくせに、しかしだからこそ人間臭さにまみれた、そんな数学の世界に魅了されました。勘で選んだ専門分野でしたが、結果的にはその道を何十年も真っ直ぐに歩いていくことができました。自分自身の好奇心と価値観がその原動力であったことはもちろんですが、指導教員や同世代の研究者をはじめとする研究分野の共同体の中で育てられたとも思います。

 駒場キャンパスの良いところは、毎年大学一年生に出会えることです。その中には、三十年前の私のように地方から上京してきた者もたくさんいるでしょう。かつて私がここで自由に青春を謳歌したように、また先生方や先輩諸氏から学問の深さを学んだように、今度は私が若い学生諸君の成長を見守る役割を果たす番です。役に立つかどうかで打算的に判断するのではなく、自分が面白いと思うことに夢中になって下さい。そして多様な背景を持つ他者との出会いを大切にして下さい。君に気付かれないほどの力加減で、君の背中を私はそっと支えます。

(数理科学研究科)

第673号一覧へ戻る  教養学部報TOPへ戻る

無断での転載、転用、複写を禁じます。

総合情報