HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報673号(2026年6月 1日)

教養学部報

第673号 外部公開

<時に沿って> 変わり続けるということ

プヨ バティスト

image673-3-3.jpg 十年ほど前、私は「自分で考えなければ、他者に考えられてしまう」という言葉に出会い、強い衝撃を受けました。当時は漠然とした感覚にすぎませんでしたが、今なお私の中に残り続けています。私たちの思考は、常に何らかの前提、すなわち暗黙の信念体系の上に成り立っています。それらから完全に自由になることはできません。しかし、だからこそ重要なのは、前提を問い直し、捉え直していくことではないかと考えています。

 人は誰しも、気づかぬうちに思考の枠組みにとらわれて生きています。それは自然なことです。しかし、知るという営みの中で、私たちはそれまで自明とみなしていた前提を手放し、新たな視点を獲得することができます。私にとって「学ぶ」ということは、知識を増やすこと以上に、自らの前提が変化していく過程であったように思います。

 私はフランス南部のプロヴァンスに生まれ、南西部のバスク地方で生活してきました。現在は東京大学教養学部に在籍しています。この移動は単なる地理的な変化ではなく、時間の中で自身の思考が変化し続けてきたことと重なっています。この歩みの中で、私は何度も自分の前提を問い直し、捉え直してきました。

 人生は決して長くはありません。だからこそ、変わり続けること、自らを更新し続けることに価値を感じます。そして東京大学教養学部は、それを可能にする場だと思っています。多様な背景を持つ学生や教員が集い、異なる考え方に触れることで、自分の前提が揺さぶられ、新たな視点が生まれる。そのような環境の中でこそ、変化を恐れない思考は育つのではないでしょうか。

 私自身の研究においても、この「前提を問い直す」という姿勢を中心に据えています。例えば、フランス語や日本語における名詞の複数形は、一般に「数」を表すものと理解されます。しかし実際には、それは単なる「数」の表現にとどまらず、話し手が世界をどのように捉え、それをどのように他者と共有しようとしているのかという、より深い思考の枠組みと関わっています。言語の細部に目を向けることは、私たちの認識のあり方そのものを見つめ直すことでもあるのです。

 異なる言語や文化に触れることは、自らの前提を相対化する契機となります。ある言語では自明とされることが、別の言語ではそうではない。この違いに気づくとき、私たちは初めて、自身の思考の枠組みを外側から捉えることができます。その意味で、言語を学び、比較することは、知識の獲得にとどまらない変化の実践でもあると感じています。

 「自分で考えなければ、他者に考えられてしまう。」自分で考えるということは、変わり続けることを引き受けることにほかならないのかもしれません。この学びの場で、学生とともに考え、問い、変わり続ける時間を共有できることを、心より楽しみにしております。

(言語情報科学/フランス語・イタリア語)

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