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教養学部報

第676号 外部公開

『振幅するフロンティア ──アメリカ西部と大衆文化』刊行によせて

石原 剛

image676_1-02.jpg アメリカ西部とは単なる空間を意味しない。アメリカにおいて西部は様々な文化的意味を伴いながら、独自の存在感を示してきた。特に二〇世紀後半以降、西部劇やカウボーイに象徴される伝統的なオールド・ウェストの枠組みを超え、マイノリティ、女性、都市、環境などを重視した実に多様な西部イメージが生み出されてきた。こういった西部表象の拡がりを受け、本書『振幅するフロンティア』では、文学、映画、テレビドラマ、音楽、テーマパークなど、大衆文化を含めた様々なジャンルにおける西部の意味が分析される。戦後日本の大衆文化におけるアメリカ西部を考察する複数の章も収められ、類書とは異なる国境横断的なアメリカ西部文化研究の成果にもなっている。

 ひとたび足を踏み入れてみればすぐに分かるが、西部研究のすそ野は広く深い。広大なアメリカ西部の山脈に迷いこんだかのごとく、うかつに手を出すと深い森の中で方向を見失いそうになる。そこで筆者が執筆した序章では、これから西部研究を志す学徒の参考に供すべく、一九世紀末から今日に至るアメリカ西部研究の代表的成果の整理・紹介が試みられている。西部研究の道案内としては、類書にはない網羅的な内容になっているはずだ。

 続く第一部「アメリカ西部像の形成と変容」では、種々の目的に応じて西部がいかに利用されてきたのか、その様相が様々な作品や事象を対象に検討される。観光資源として都合よく消費され、ときには核実験の現場になるなど、西部は産業社会の力学の中で搾取・濫用され続けてきた(第一章)。同時に、ベトナム戦争批判の政治的パフォーマンスの舞台として、ディズニーランドの西部神話のアトラクションが占拠されるなど(第四章)、それぞれの目的に応じて西部の土地や言説が動員されてきた。本書のタイトルを『振幅するフロンティア』としたのは、時に伝統や境界を越えて、このように柔軟に再想像される多様な西部像を強調したかったからだ。

 本書の構想は、二〇二四年に開催されたアメリカ学会全国大会シンポジウムに遡る。同シンポが「西部フロンティアをめぐるアメリカ大衆文化の想像力・再考」と題されていたことからも分かるように、「大衆文化」は「西部」と並ぶ最重要テーマであった。こういった当初の方向性を反映して、第二部「アメリカ西部大衆文化の系譜」では、漫画、映画、音楽、テレビドラマなど様々な大衆文化ジャンルと西部の関係を探求した章が並んでいる。例えば、駒場の同僚でもある井上博之さん(地域文化研究)による、マリリン・モンロー主演の遺作『荒馬と女』(一九六一年)を分析した映画論では、西部的マチズモと男性本位の女性像に依拠した従来の西部劇神話が解体され、新たな西部表象の可能性が鮮やかに示されている(第六章)。また、別の論者によるカントリー音楽論では、従来の保守的な伝統を超えて、性的マイノリティの自己表現の場としても機能しつつある近年のカントリーの状況が詳らかにされる(第八章)。このように、二〇世紀後半のアメリカ大衆文化を中心に、異性愛規範や男性的価値観に依拠した伝統的西部像には収まりきらない西部表象の実態が明らかにされるのだ。

 加えて、西部の波動はアメリカ国内に留まらない。特にアメリカ文化の影響が色濃い戦後日本において、アメリカ西部に魅了された日本人は多かった。第三部「日本文化とアメリカ西部」では、手塚治虫らの西部劇漫画、宍戸錠主演の日活和製西部劇、山田洋次の北海道を舞台にした映画作品などを中心に、戦後日本の大衆文化の担い手たちが、西部のイメージからいかなるインスピレーションを得たのか、実作品を例に考察されている。これらの論考は、日本発のトランスナショナルなアメリカ西部研究の成果として、アメリカの西部研究には稀なユニークな内容となっている。

 巻末の特別寄稿エッセイからも明らかなように、実のところ、企画段階から本書の念頭にあったのが、かつて駒場で教鞭をとられていた亀井俊介先生のアメリカ文化研究のお仕事であった。残念ながら亀井先生は二〇二三年夏に逝去されたが、先生が本書を読まれたら何とおっしゃるだろう。いつもの口癖「まぁ、いいよ」と言っていただけることを祈りつつ、本書を先生に捧げたい。

(超域文化科学/英語)

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