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教養学部報

第676号 外部公開

<本の棚> 松井裕美 著『掌の美術論 触覚と想像力』『イメージの歴史をつむぐ 1中世~近代のフランス美術』

郷原佳以

image676_2-02_1.jpg 『掌の美術論』のように歯応えのある本を読むときにはノートを取りながら読み進めるのだが、本書の第一章「自由な手」を読んでいる間、メモを取る自分の手が気になって仕方がなかった。普段はそんなことはない。手は脳が重要と判断した箇所を書き写したり思いついたことを書きとめたりするだけで、脳に従属しているはずだと思っているからだ。しかし、左手を素描する右手の素描の分析から始まる第一章を読んで、自分の身体の動きを意識せざるをえなくなった。自分の身体を観察し、表象しながら、その表象する手も画布に描き込んできた画家たちがいる。そうした絵画およびそれをめぐる言説――本書では作品と批評を平等に俎上に載せる姿勢が貫かれている――の精緻な分析が明らかにするのは、一方では、私たちの自己認識は無意識のうちに、自分の身体が視野に入り、自分で自分に触れている、その感覚の連関によって作られているということであり、他方では、その作用自体が観察と表象の対象となるや、表象の外部としての「私」はどこまでも後退し、「手」は「私」にとってよそよそしいものになるということである。こうした意識が高まった近現代美術、とりわけシュルレアリスムにおいて注目されたのは、「私」の意志から自律した「自由な手」だった。視覚的知性から解放された手が残す形式を目が再発見するという創造があるのだ。

 こうして本書では「手」が一貫して関心の的となるのだが、メモする自分の手が気になったのは第一章までだった。第二章「美術史家の手」に入ると「手」は触覚あるいは身体感覚の比喩となって視覚のなかに入り、視覚を問い直し始めるからである。「舐めるように見る」という表現があるが、「触るように見る」という知覚のあり方があるのではないか、これが、ごく大掴みに言えば、本書から評者が受け取った呼びかけである。それは、世界に接する画家の知覚、絵画に接する鑑賞者の知覚、過去の絵画に接する画家や美術史家の知覚、と複数の位相に渡り、かつ、それぞれの位相のなかで様々なタイプに分かれる。一口に「接する」といっても、画家と一体になったかのように、描かれた対象を没入的に経験するのと、対象を描く絵の具の表層にとどまるのでは、距離の取り方に雲泥の差がある。しかしどちらも「見る」ことがある仕方で「触る」という身体感覚に関わっている。著者は、そうした感覚を惹起する作品とそれらをめぐる膨大な言説を渉猟し、様々な段階の触覚的な知覚ないし想像力を明解に腑分けしてゆく。

 まずもって、思想家ヘルダーや美術史家ヴェルフリンが評価したのは、私たちがものに触れたときの触覚的な記憶を呼び起こしながら作品を鑑賞することの価値である。《アンタイオスを絞め殺すヘラクレス》について美術史家ベレンソンが指摘したのは、鑑賞者がヘラクレスの力強い動きに一体化するような身体感覚を覚えることだった。しかし、ミニマリズムの彫刻家ロバート・モリスの《盲目の時間》シリーズが身を寄り添わせようとしたのは、浅い奥行きで没入を斥ける画家セザンヌの身体感覚だった。イメージから情報を引き出すパノフスキーの図像学に抗する美術史家ディディ=ユベルマンも、感情移入とは一線を画してイメージを感性的に受け取ろうとする。スペイン内戦中の爆撃を題材としたピカソの《ゲルニカ》もまた、逃げ惑う女や馬を悲劇の再現とは異なる仕方で配し、浅い奥行きの空間に心の手を伸ばすよう鑑賞者を誘う。

image676_2-02_2.jpg こうしてみると、絵画を前にして「触るように見る」という私たちの経験は、時間と場所の離れた他者の経験を感性的に想像することだと言えそうだが、そのときの距離の取り方には様々なタイプがあり、むしろ鑑賞者への距離の取らせ方、想像への促し方にこそ個々の芸術家の特徴が表れるようにも思われてくる。本書の主題はこのように、鑑賞者、すなわち私たちの経験に直接関わるものだが、特筆すべきは、本書の記述が著者自らの作品との出会いに基づいていることが折々に窺われることである。とりわけメアリー・カサットやマリー・ローランサンを紋切型に嵌めずに論じる第六章「彼女たちの顔に触れる」にそれは顕著だ。美術の歴史と批評を自家薬籠中の物とした一人の美術史家が自らの手で作品に触れ新たに批評を生み出すのに立ち会うような喜びを覚えた。

 その著者が、本学前期課程で担当している「美術論」講義の教科書として編んだのが『イメージの歴史をつむぐ 1中世~近代のフランス美術』である。『掌の美術論』では作品が感性的に作用するものであることが強調されたが、本書では歴史的な理解に軸足を置き、九世紀から二〇世紀初頭に至るフランス美術を時代順に辿っている。著者は講義の参加者に各時代・様式における作品を示し、鑑賞の視線をなぞるように構図、モチーフ、筆触、色彩、神話的・宗教的含意、歴史的背景、等々を講じ、ときに、問いかける。最終講では西洋の美術制度における「オリエント」への一方的な眼差しに注意を促している。読者は徐々に、必要な概念を修得しながら、どんなふうに見たらよいのか、そこにどんな言葉を与えたらよいのかを学んでゆく。教室で学生たちが数々の作品と出会うと同時に解釈格子と的確な言葉を身につけて美術史へ入門してゆく過程が見えるようである。文献案内も充実している。

(言語情報科学/フランス語・イタリア語)

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