教養学部報
第676号 ![]()
ジェンダー研究を「学問」へ ──瀬地山角氏を悼む
福永玄弥
六月十七日、瀬地山角氏が急逝した。急性虚血性心疾患による突然の死だった。
瀬地山氏は一九六三年に奈良県に生まれ、東京大学教養学部相関社会科学コースを卒業後、同大学院総合文化研究科に進学。北海道大学文学部助手を経て、一九九四年より東京大学で教鞭をとった。以来三十年以上にわたり、ジェンダー研究を切り拓き、その成果を教育や社会に還元し続けてきた。
瀬地山氏といえば、教養学部開講の「ジェンダー論」を思い浮かべる人も多いだろう。男女共同参画社会基本法の成立に後押しされて駒場に開講されたこの授業は、約二十年を経た今も、毎年千人弱の学生を惹きつける「東大一の人気講義」(日本テレビ「世界一受けたい授業」)であり続けている。首都圏の中高一貫校や進学校出身の学生、とくに男性の学生が多くを占める東大の組織構成を念頭に置きながら、社会的資源に恵まれた学生たちが、自身の立場やジェンダー意識の偏りを問い直す機会をつくってきた。
そのための重要な教育技法が「笑い」だった。瀬地山氏の講義には、学生たちを笑わせながら、身近な生活に潜むジェンダーの非対称性を浮かび上がらせる工夫が随所に凝らされていた。それは、マジョリティの学生を過度に防御的にさせることなく、同時に、自らの特権や偏見を問うことから逃さないための実践でもあった。著書『お笑いジェンダー論』(勁草書房、二〇〇一年)にも、こうした教育への姿勢が色濃く表れている。
その教育は教室のなかで完結するものではなかった。ゼミ生を新宿二丁目のコミュニティセンター「akta」に連れて行き、セックスワーカーの労働権を擁護する活動家をゼミに招くなど、瀬地山氏は学生たちが社会運動やマイノリティ当事者の経験に触れる機会を大切にした。大学で学ぶ知識を、現実の社会に生きる人びとの営みと結びつけること。それもまた、瀬地山氏の教育実践を特徴づけるものだった。
こうした教育活動の根底には、ジェンダー研究を学問として確立しようとする強い意志があった。
瀬地山氏の主著『東アジアの家父長制----ジェンダーの比較社会学』(勁草書房、一九九六年)は、その意志を体現する仕事である。同書は、近代東アジアに広く影響を及ぼした文化規範としての儒教と、社会体制としての資本主義/社会主義という変数に焦点を当て、日本、中国、台湾、韓国、北朝鮮という五つの社会における家父長制の類型を析出した労作である。その貢献は、家父長制を家族や文化の問題に閉じず、労働、国家、社会体制の編成として実証的に分析したことにある。さらに同書は、「東アジア」を単なる地理的カテゴリーではなく、比較社会学の分析単位として成立させた。東アジアを西洋理論の適用例に位置づけるのではなく、東アジアからジェンダーの比較社会学を立ちあげたのである。英語版(二〇一三年)、韓国語版(二〇二四年)に続き、中国語版(近刊)の刊行も準備されていたことは、その研究成果がいまなお東アジアの読者に開かれていることを示している。
同書のあとがきには、大学院時代、指導教官から「フェミニズムでは就職はなかなかないから、他の分野の論文も書けるように」と言われたというエピソードが記されている。当時、ジェンダー研究もフェミニズムも学問として認知されているとは言いがたかった。だからこそ瀬地山氏は、ジェンダー研究を、運動の水準にとどめず、「学問としてしっかりしたものにしたい」と考えた。それは本人の言葉を借りれば、「研究者という職業を選択した人間の意地」であった(三四二頁)。
私自身も、その仕事に導かれた一人である。日本語と英語に加え、中国語と韓国語にも通じた瀬地山氏の比較研究は、東アジアのクィア政治を研究する私に、地域の歴史と社会に根ざした研究の可能性を示してくれた。瀬地山氏を主査として博士論文を執筆し、その成果を『性/生をめぐる闘争----台湾と韓国における性的マイノリティの政治と運動』(明石書店、二〇二五年)として世に出すことができたのも、その学問的な導きがあったからである。
瀬地山氏にとって、ジェンダー平等は研究や教育の対象であると同時に、自らの生活において実践すべき課題でもあった。「子育てで男性にできないことはない」と語り、「ノーベル賞を二つあげると言われても、盆と正月以外は研究室にいる生活をしたかったとは思わない」としばしば口にしていた。自らを「男女雇用機会均等法第一世代の男性研究者」と位置づけ、駒場キャンパス内の保育所の理事を二十年以上務めたことも、その姿勢の表れだろう。研究や教育に専念することを可能にする日々のケア労働を、誰が担っているのか。そうした問いを、大学という組織のあり方にも向け続けたのである。
二〇二二年、教養学部附属教養教育高度化機構にD&I部門が設置され、現在ではフェミニズムやクィア理論、障害学、脱植民地主義研究など、多様な科目が展開されている。いま私たちが、ジェンダーやセクシュアリティを大学で研究し、教えることができる背景には、瀬地山氏が長年にわたって切り拓いてきた研究と教育の蓄積がある。それは、瀬地山氏をはじめとする先達が駒場に遺した大きな財産である。
瀬地山氏の急逝を受け、私はSセメスターの「ジェンダー論」の残りの授業を引き継いだ。瀬地山氏が遺した授業を学生たちとともに学期末まで走り抜き、次年度以降につないでいくこと。その仕事を通じて、瀬地山氏が切り拓いた問いを、これからの東大の教養教育のなかで引き受けることが、遺された私たちの仕事である。
(教養教育高度化機構)
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