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最終更新日:2025.09.27

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トピックス 2025.09.19

【研究成果】自己集合性錯体の収率を劇的に向上させる触媒

2025年9月19日
東京大学

発表のポイント

  • 多段階の可逆な反応を経て生成する分子集合体の収率を劇的に向上する触媒を発見しました。
  • 収率向上の鍵が、分子集合体の形成の後期過程の素反応が触媒によって大きく加速されることであることを見出しました。
  • 一般的に、触媒は可逆反応の平衡化を加速するものの生成物の収率を変えません。一方、本系で平衡状態を超えて収率が向上した理由が、分子集合体がローカルな反応ループ内にトラップされているためであることがわかりました。

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触媒による自己集合体の収率の劇的な向上

概要

 東京大学大学院総合文化研究科の平岡秀一教授と京都大学大学院工学研究科の佐藤啓文教授らによる研究グループは、6つの金属イオンと4つの有機配位子からなるM6L4四角錐形錯体(SP)の自己集合において、過レニウム酸アニオン(ReO4-)を触媒として加えると、SPの収率が劇的に向上することを見出しました。ReO4-の有無における自己集合のメカニズムを実験および数理モデル解析により調べた結果、触媒の有無によって反応経路は殆ど変化しない一方で、ReO4-の存在下では、SPの自己集合の後期過程の各素反応が大きく加速され、触媒無しの場合に溜まってしまう中間体を効率よくSPへ変換することを明らかにしました。さらに、ReO4-の存在下では、SPを含むローカルな反応ループ内のみで平衡が作り出されるため、化学平衡へ到達することなくSPを高収率で維持できることがわかりました。本研究によって、可逆な反応ネットワークという複雑反応系に及ぼす新たな触媒作用が明らかとなり、目的とする物質を効率的に形成する制御デザインに繋がると期待されます。


発表内容

<研究の背景>
 化学反応は、活性化エネルギーと呼ばれるエネルギー障壁を乗り越えて進行し、この障壁が低いほど反応が起こりやすく速くなります。このように化学反応を理解することを速度論と言います(図1a)。一方、行きと帰りの反応の活性化エネルギーが低いと、反応が双方向に進行することになり、最終的に化学平衡に到達します。化学平衡における帰結は活性化エネルギーに無関係で、全ての種の相対的な自由エネルギーのみで決まり、これを熱力学支配と言います(図1b)。そのため、可逆な反応の帰結は速度論の影響を受けないことを意味しますが、研究グループは以前の研究において、可逆な反応のみから構成される反応ネットワーク(図1c)が速度論の影響を受けて帰結を変え得ることを見出しました(プレスリリース「可逆な化学反応ネットワークにおける経路選択の原理 ――準不可逆性の発現――」(2023年7月18日) https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/press/z0109_00087.html)。

 触媒は、素反応の活性化エネルギーを低下させ、反応を加速する効果があります。一般的な可逆反応に及ぼす触媒の効果は、活性化エネルギーの低下に伴う化学平衡化の加速です。したがって、本来触媒は、可逆反応の帰結を変化させることはありませんが、可逆な反応ネットワークにおいて、触媒がどのような効果を示すかについては、これまで研究が行われていませんでした。

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図1:速度論支配と熱力学支配
(a) 素反応における速度論支配の模式図。Aは遷移状態を経てBへ至る。Aと遷移状態(注1)のエネルギー差に相当する活性化エネルギー(ΔE)によって反応の進行のしやすさが決まる。(b) 素反応における熱力学支配の模式図。AとBが可逆である場合、それぞれの存在比はAとBの自由エネルギー差(ΔG)によって決まり、活性化エネルギーの影響を受けない。(c) 本研究で扱う可逆な反応ネットワークの模式図。各◯は状態を表し、◯をつなぐ線は可逆な素反応を表す。●と太線は主要反応経路を示す。

<研究の内容>
 研究グループでは、これまでに可逆な反応ネットワークの解析対象として金属錯体(M)と有機配位子(L)から形成される自己集合性錯体をモデル系として利用してきました。自己集合性錯体は幾何構造が明確なため、反応ネットワーク内に存在する中間種を合理的に考えることが可能で、またMとLの間の結合形成の素反応に対する理解も十分になされていることから、可逆な反応ネットワークの特性を調べる上でとても有効なモデルです。本研究では、自己集合性錯体の中でも、シス保護されたPd(II)錯体(M)と3つのピリジル基をもつ三角形状の有機配位子(L)からなるM6L4 四角錐形錯体(SP)の自己集合に対する触媒効果を調べました(図2)。SPの自己集合を熱力学支配で行うと、高濃度条件では高収率(84%)を与えるものの、低濃度では24%と収率が大幅に低下し、SPの部分構造であるM2L2が主に生成しました。これは、Lの金属結合部位にMが結合することで残りの結合部位の結合力が低下するため、SPが2分子のM2L2に解離してしまうためです。そのため、SPの自己集合は可逆な反応ネットワークの帰結に及ぼす触媒効果を調べるために適していると言えます。

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図2:M6L4 四角錐形錯体(SP)の自己集合
(a) M6L4 四角錐形錯体はシス保護されたPd(II)錯体(M)6つと有機三座配位子(L)4つから構成される。Xは脱離配位子を示し、SPの構成要素ではない。高濃度ではSPが主生成物となるが、低濃度ではSPの部分構造であるM2L2が主生成物になる。これは、LにMが結合すると、Lに残った結合部位のMへの結合力が低下するためである。低濃度の条件で触媒としてReO4-を加えると、SPの収率が96%へ上昇する。長時間加熱するとSPの収率が低下することから、高収率の状態が準安定状態であることが分かる。ReO4-よりも高い触媒能をもつNO3-を用いても、SPの収率の大きな向上は見られない。(b) M2L2の模式図。

 SPの自己集合における触媒効果を調べた結果、過レニウム酸イオン(ReO4-)を用いると、SPの収率が96%と劇的に向上することが明らかとなりました。高収率で得られたSPを長時間加熱し化学平衡へ導くと、SPの収率が大きく低下したことから、高収率のSPは準安定状態(熱力学平衡状態よりもエネルギー的に不安定な状態)であることが明らかになり、速度論支配によって高収率の状態が作り出されたことがわかりました。また、ReO4-よりも高い触媒効果を示す硝酸イオン(NO3-)を用いても、高収率でSPが生成せず、高収率の状態は高い触媒能によって達成されたわけではないことが明らかになりました。

 SPの自己集合の反応ネットワーク内に存在する全ての素反応は、Mとの結合の形成・解離に伴う配位子交換反応です。触媒はこれらの素反応の活性化エネルギーを低下させますが、反応ネットワーク内の全ての素反応が均一に加速されると、反応の帰結は触媒が存在しない場合と変わりません。すなわち、ReO4-によって反応の帰結が変化した実験結果は、ReO4-が反応ネットワーク内の各素反応を不均一に加速したことを示しており、(1)どのようにして不均一な加速が行われ、(2)不均一な加速によって如何にしてSPの収率が向上したのかに興味が持たれます。

 これらを解明するために、研究グループで開発している自己集合機構を実験的に調べる手法であるQASAP(Quantitative Analysis of Self-Assembly Process)およびこれを数理モデル解析する手法であるNASAP(Numerical Analysis of Self-Assembly Process)を用いてReO4-の有無におけるSPの自己集合機構を調べました。その結果、ReO4-の有無にかかわらず自己集合経路は殆ど同じであることがわかりました(図3)。触媒なしにおける自己集合では、M3L3などの三角形状の集合体で自己集合が止まってしまう一方、ReO4-が存在すると、三角形状の集合体以降の反応が大幅に加速され、SPの収率が向上することが明らかになりました。ReO4-による不均一な加速の原因を調べるために、モデル系の配位子交換速度を実験的に調べた結果、配位子の配位力が低下するとReO4-による加速効果が向上することが確認されました(図4a)。一方、NO3-はReO4-に比べ高い加速効果があるものの、配位子の配位力に対して加速効果が大きく変化しないことがわかりました(図4a)。

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図3:M6L4 四角錐形錯体(SP)の自己集合機構
SPの自己集合における主要経路。ReO4-の有無によって主要経路は殆ど変化しない。触媒の非存在下では、三角形構造体(M3L3)で止まってしまいSPの収率が向上しない。一方、ReO4-の存在下では三角形構造以降の素反応が大きく加速され、三角形構造がSPへ効率的に変換し収率が向上する。SPを含むローカルな反応ループをオレンジの破線矢印で示す。

 さらに、ReO4-が配位力に応じて加速度合いを変化させる起源をDFT計算(注2)により詳しく調べた結果、(1)触媒における加速はM-配位子結合をM-触媒結合に置き換える段階で決まり、(2)その反応における遷移状態は、触媒がReO4-の場合、原系(M-配位子結合状態)よりも生成系(M-触媒結合)に類似しており、脱離する配位子の性質(すなわち配位子の配位力)の影響を大きく受けることがわかりました(図4b)。一方、触媒がNO3-の場合の遷移状態は、ReO4-の場合に比べて原系に近いため、脱離する配位子の性質の影響が小さく、加速度合いの変化も小さかったと説明されます(関連論文情報を参照)。

 触媒によって活性化エネルギーが低下すると可逆性が上がり、反応が化学平衡へ到達すると期待できます。前述の通り、触媒としてReO4-を用いると、化学平衡状態の収率を超えてSPが生成し準安定状態に到達しました。ここで、ReO4-によって活性化エネルギーが低下するにもかかわらず、なぜ平衡状態に到達しないのか、という疑問が湧きます。この原因を調べるために、ReO4-存在下の反応ネットワークを用いて、100%のSPからシミュレーションを実施したところ、SPの収率の低下は殆ど見られず、確かに準安定状態を維持することが確認されました。さらに詳細に反応を解析すると、SPが構造変化せずに存在しているわけではなく、SP内のM-L結合が切断された後、複数の配位結合の解離・形成を経て再びSPへ戻ることがわかりました(図3のオレンジの破線矢印)。このローカルな反応ループは平衡状態にあり、ループ内に存在する構造体の中でSPが最も安定なため、ループ内の平衡がSPに偏り高収率のSPの状態を維持することが明らかとなりました。


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図4:配位子の配位力と触媒の加速効果の関係
(a) 触媒による加速度合いに及ぼす配位子の配位力の依存性。ReO4-は配位子の配位力が弱いほど加速度合いが向上するが、NO3-は配位力に対する加速度に大きな変化が見られない。(b) 配位子交換機構の模式図と反応の進行度(ξ)。ξは遷移状態が原系(M-配位子結合状態)と生成系(M-触媒結合状態)のどちらに近いかを示す尺度で(0≦ξ≦1)、ξが0.5よりも小さいと、遷移状態は原系に近く、0.5よりも大きいと生成系に近いことを示す。(c) 各配位子交換反応におけるξをまとめた表。

<今後の展望>
 反応ネットワークは、各素反応の単純な足し算からは予測できない現象を引き起こすため、自然界において機能発現の鍵の一つですが、可逆な素反応のみからなる反応ネットワークに対する理解は、これまで殆ど進んでいませんでした。本研究により、過レニウム酸イオンのような単純な触媒であっても、可逆な反応ネットワーク内の類似した素反応を認識し、その加速度合いを変化させることで、高収率の自己集合体の形成を導くことが明らかとなりました。分子自己集合体の多くは熱力学支配によって構成されてきましたが、触媒の存在下、速度論支配を取り入れることで、可逆な反応ネットワークを操り、生成物をコントロールできる可能性が示され、本手法が物質合成における新たなデザイン原理になると期待されます。

関連論文情報
雑誌名:Bulletin of the Chemical Society of Japan
題 名:The origin of the unequal catalytic acceleration of ligand exchange at Pd(II) center by ReO4-
著者名:Tsukasa Abe, Satoshi Takahashi, and Shuichi Hiraoka*
DOI:10.1093/bulcsj/uoaf042
URL:https://academic.oup.com/bcsj/article/98/9/uoaf042/8248959


発表者・研究者等情報

東京大学 大学院総合文化研究科広域科学専攻相関基礎科学系
平岡 秀一 教授
阿部 司 助教
高橋 聡 助教
Runyu Chai(ルンユ サイ) 修士課程研究生

京都大学 大学院工学研究科分子工学専攻
佐藤 啓文 教授


論文情報

雑誌名:Chem
題名:Catalytic manipulation of reversibility and irreversibility in a supramolecular reaction network to control the self-assembly outcome
著者名:Tsukasa Abe, Satoshi Takahashi, Runyu Chai, Hirofumi Sato, and Shuichi Hiraoka*
DOI:10.1016/j.chempr.2025.102741
URL:https://www.cell.com/chem/fulltext/S2451-9294(25)00332-8


研究助成

本研究は、科研費「速度論支配下で働く配位自己集合の原理の解明(課題番号:21K18974)」、「速度論支配による多成分自己集合性錯体の創成(課題番号:23H01970)」、「人工系の自己集合経路選択における一般原理の解明(課題番号:23K04663)」、旭硝子財団の支援により実施されました。


用語説明

(注1)遷移状態
化学反応が進行する経路(反応座標)上で最もエネルギー的に高い状態で、ポテンシャルエネルギー曲面上では、反応座標上における極大を、他の方向については極小となることから鞍点と呼ばれることがある。

(注2)DFT計算
密度汎関数理論(Density Functional Theory)を用いた計算。分子のエネルギーや物性値を原子の電子密度を基に計算する手法のこと。


―東京大学大学院総合文化研究科・教養学部 広報室―

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