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最終更新日:2025.12.11

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トピックス 2025.12.10

【研究成果】水の赤外光物性を定量的に計算可能な手法を開発 ──地球大気や星間空間の水の構造解明に貢献──

2025年12月10日
東京大学
埼玉大学
科学技術振興機構(JST)

発表のポイント

  • 水や氷の赤外光物性を定量的に計算できる手法の開発に成功。
  • 微粒子や薄膜など界面が重要となるナノサイズの水・氷の赤外スペクトルが予測可能に。
  • 地球や宇宙に存在する液滴、氷微粒子の構造を理解するための手法として期待。
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量子古典混合法による水の複素屈折率の計算結果と実験値との比較

概要

 東京大学大学院総合文化研究科の持田偉行フィッチ大学院生、羽馬哲也准教授、埼玉大学大学院理工学研究科応用化学プログラムの高山哲侑大学院生、山口祥一教授らの研究グループは、量子古典混合法と呼ばれる理論計算手法を用いて、水の赤外光物性[赤外光を照射した際に見られる特徴的な性質、ここでは特に複素屈折率(注1)や吸収断面積(注2)など]を定量的に計算する方法を新たに開発しました。本計算手法を用いることで、界面の影響を考慮する難しさからこれまで困難であった水の微粒子や薄膜の赤外スペクトル(注3)を理論的に予測することが可能になり、その構造について分子レベルで明らかにすることができます。水や氷の微粒子は、地球の雲粒子(注4)や宇宙の氷星間塵(注5)など自然界に豊富に存在します。また雲粒子や氷星間塵の模擬物質として水や氷の薄膜を用いた実験研究が現在活発に行われています。本研究成果によって、水や氷の微粒子・薄膜の構造と物性について大きく理解が進み、地球科学や天文学に貢献することが期待されます。


発表内容

 ① 研究の背景
 水(H2O)は我々にとって最も身近な液体の一つです。その一方で、水は融点(0℃)よりも高い4℃で密度が最大になるなど、他の液体と比べて特異的な性質を持つことが知られています(水以外のほとんどすべての物質の液体は、融点で密度が最大になります)。そのため、水は他の物質の液体と比べて特殊な構造を持つと考えられています。また水の固体である氷は、温度や圧力に応じて20種類以上もの異なる結晶構造が存在します。さらに、結晶だけでなく、アモルファス(注6)の氷も宇宙空間では存在するなど、氷は非常に豊富な分子集合構造(水素結合ネットワーク構造)を持つことが知られています。

 水や氷(結晶氷とアモルファス氷)の分子集合構造を調べる手法として、赤外分光法(注3)が広く利用されています。とくに波数にして2800-3800 cm-1(波長にして2.6-3.6 ㎛)におけるH2O分子の赤外スペクトルはOH伸縮振動バンドと呼ばれ、水内あるいは氷内のH2O分子の集合構造に関する情報を豊富に含んでいる重要な振動バンドであることが知られています(図1)。しかし水や氷のOH伸縮振動バンド(赤外スペクトル)の形状は、波数に対して非対称な形をしているなど非常に複雑であり、実験で得た赤外スペクトルの形状を見ただけではH2O分子の集合構造に関する情報を正確に引き出すことは困難です。そのため、理論計算によって実験で得た赤外スペクトルを解釈する研究が現在活発に行われています。

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図1:H2O分子のOH伸縮振動の模式図
水素結合(点線で示したO・・・H-O間の結合)によって、OH伸縮振動が影響を受ける。多くのH2O分子が集合して水素結合によるネットワーク構造が複雑になっていくと、OH伸縮振動が受ける影響も複雑になり、赤外スペクトル(OH伸縮振動によって、H2O分子へ照射された赤外光の一部が吸収されたことを示すグラフ)から分子集合構造を予想することが難しくなる。

 なかでも近年、「量子古典混合法」と呼ばれる手法によるスペクトルシミュレーション計算が注目されています。量子古典混合法では、量子論に基づいた量子化学計算(注7)と古典論に基づいた分子動力学計算(注8)とを組み合わせることで水や氷の赤外スペクトルを計算します。一般に、量子化学計算のみで水や氷(数百以上のH2O分子)について計算しようとすると、膨大な計算コストが必要となってしまい、計算の実行は非常に困難です。その一方で、量子古典混合法では、計算コストの大きい量子化学計算について、予め用意された「振動分光マップ(分子振動と電場との相関関係を簡単な多項式で表現したもの)」に置き換えることでスペクトル計算の大幅な高速化を可能にします。振動分光マップを作製するために多くの量子化学計算が必要ですが、幸い先行研究によってH2O分子のOH伸縮振動バンドについては既に良い振動分光マップが確立しています。そのため、あとは分子動力学計算を用いて水や氷の構造をシミュレーションすることで、赤外スペクトルを計算することができます(図2)。


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図2:量子古典混合法による水の赤外スペクトル計算の模式図
振動分光マップはGruenbaum et al., J. Chem. Theory Comput. 9, 3109 (2013)より改変して引用。

 量子古典混合法は計算コストと精度のバランスが良く、計算で得られた赤外スペクトルの形状は実験のスペクトルを良く再現することが知られています。また赤外分光法だけでなく、ラマン分光法(注9)や振動和周波発生分光法(注10)など、さまざまな分光法で得たH2O分子のOH伸縮振動バンドの形状を再現することに成功しており、水や氷の構造に関して多くの知見を与えることに成功しています。

 しかし従来の量子古典混合法では、赤外スペクトルの形状を定性的に再現することが目的とされているため、計算された赤外スペクトルの縦軸の絶対値(つまり水や氷がどれほど赤外光を吸収したか)については議論ができず、実験で得た水や氷の赤外スペクトルの吸光度(注11)を理論的に再現できないという大きな問題がありました。赤外スペクトルの吸光度には、複素誘電率(注12)や複素屈折率といった液体としての水の物理量や、吸収断面積、モル吸光係数(注13)といった水のなかのH2O一分子(あるいは1モル分のH2O分子)についての物理量など、水に関する重要な情報が含まれており、これらを量子古典混合法で計算することができれば、水の構造と物性についてより詳細な議論が可能になります。

 ② 研究内容
 本研究グループは、これまでの量子古典混合法を拡張し、水の赤外光物性のうち複素屈折率や吸収断面積などについて定量的な計算ができるように改良することに成功しました。本研究では、誘電体の線形応答理論に基づいて量子古典混合法を再導出することで、従来の量子古典混合法では計算を簡単にするため比例量として扱われていた部分について、絶対値が計算できる式を新たに導出しました。加えて、従来の量子古典混合法では吸収に関わる「複素誘電率の虚部に比例する量」のみを計算することで赤外スペクトルの形状を予測していましたが、本研究では複素誘電率の実部まで含めて計算できるように計算範囲を複素数まで拡張し、実部と虚部の波数依存性が同時に求められるように改良しました。その結果、赤外スペクトルの縦軸の値を物理的に意味のあるもの(複素誘電率に加え、複素屈折率、吸収断面積、モル吸光係数といった赤外光物性値)として計算できるようになりました。

 本研究によって拡張された量子古典混合法の性能を検証するため、剛体水モデル(TIP4P/2005モデル)と呼ばれるシンプルなH2O分子モデルを用いて液体の水(512分子)について分子動力学計算を行い、OH伸縮振動領域での複素屈折率と吸収断面積を求めたところ、両者とも先行研究の実験値とよく合うことがわかり、拡張量子古典混合法が高い定量性を持つことを確認できました(図3)。

 さらに、導出の際に従来は考慮されていなかった「局所場補正」と呼ばれる補正を新たに取り込むことによって縦軸の計算精度が大きく向上することがわかりました。量子古典混合法において局所場補正の重要性を示した研究はこれまでなく、新しい知見となります。

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図3:量子古典混合法による水の赤外光物性値の計算結果(赤線)と実験値(黒線)との比較:
(左図)複素屈折率の実部.(中図)複素屈折率の虚部.(右図)吸収断面積とモル吸光係数

 ③社会的意義
 本研究によって拡張された量子古典混合法によって、水や氷の赤外スペクトルならびにその構造について理解が大きく進むことが期待されます。とくに本研究によって複素屈折率の実部と虚部の両方が量子古典混合法を用いて計算できるようになったことで、これまで困難であった水や氷の微粒子や薄膜の赤外スペクトルについて理論的に予測することが可能になります。微粒子や薄膜といった小さい(あるいは薄い)物質の赤外スペクトルの形状は、物質界面の影響により複素屈折率の実部と虚部の両方が組み合わさった複雑な関数で表されることが知られています。従来の量子古典混合法では、複素屈折率の実部が計算できなかったため、微粒子状や薄膜状の物質については赤外スペクトルを正確に予測できませんでした。水や氷の微粒子は、地球では雲粒子として、宇宙空間では氷星間塵として豊富に存在し、地球の気候や宇宙の物質進化において重要な役割を果たしています。また雲粒子や氷星間塵の模擬物質として水や氷の薄膜を用いた実験研究が活発に行われています。本研究によって水や氷の微粒子・薄膜について赤外スペクトルを理論的に計算することが可能になり、その構造について分子動力学計算に基づいて議論することができるようになります。

 今後、より幅広い温度や圧力条件で水や氷について研究を進めることで、雲粒子や氷星間塵の構造や形成メカニズムについてより詳細な理解が得られ、地球科学や天文学に貢献することが期待されます。


発表者・研究者等情報

東京大学大学院総合文化研究科
持田 偉行フィッチ 修士課程大学院生
羽馬 哲也 准教授

埼玉大学大学院理工学研究科応用化学プログラム
高山 哲侑 博士後期課程大学院生
山口 祥一 教授


論文情報

雑誌名:The Journal of Physical Chemistry Letters
題名:An extended mixed quantum/classical approach for quantitative calculation of complex refractive index
著者名:Ian Fitch Mochida∗, Tetsuyuki Takayama, Shoichi Yamaguchi, and Tetsuya Hama*
DOI:10.1021/acs.jpclett.5c02887


研究助成

本研究は、科学技術振興機構(JST)創発的研究支援事業(課題番号:JPMJFR231J)、日本学術振興会(JSPS)科研費「基盤研究(A)(課題番号:JP24H00264)」の支援により実施されました。


用語解説

(注1)複素屈折率:
屈折率とは、真空中での光の速度と物質中の光の速度との比で表される物理量である。複素屈折率とは、屈折率の定義を光吸収を起こす物質に対して拡張した物理量であり、ある物質の複素屈折率は実部nと虚部kを用いてn+ikと表される(iは虚数単位)。複素屈折率と複素誘電率(注12)との間には密接な関係があるため屈折率も複素数で表される。

(注2)吸収断面積:
分子による電磁波(本研究では赤外光)の吸収の効率を表す物理量。面積の次元を持つ。

(注3)赤外スペクトル、赤外分光法:
波長が2.5~20 ㎛(波数にして4000~500 cm-1)ほどの赤外光を物質に照射すると、物質内の分子の振動により特定の波長領域において光吸収が起こる。物質に赤外光を照射し、透過または反射した光を測定する分析手法を赤外分光法と呼び、赤外光の波長(あるいは波数)と強度の関係性を図示したものを赤外スペクトルと呼ぶ。赤外スペクトルを理論的に解析することで、物質の構造解析や濃度の定量を行うことができる。

(注4)雲粒子:
雲を構成する微小な水滴や氷微粒子のこと。

(注5)氷星間塵(ひょうせいかんじん/こおりせいかんじん):
星間空間に存在する0.1 ㎛程の氷微粒子。鉱物や炭素質物質を核として表面は氷に覆われている。太陽系の天体(彗星や惑星など)を含む惑星系は氷星間塵を材料として形成される。

(注6)アモルファス:
結晶と異なり、原子の並び方が広範囲にわたって秩序のない物質の状態のこと。非晶質ともいう。

(注7)量子化学計算:
原子や分子の状態を記述する基礎方程式であるシュレーディンガー方程式をコンピュータにより数値的に解く方法。量子化学計算では、計算で取り扱う系に含まれる原子の数に対してべき関数的または指数関数的に計算コストが増加する。

(注8)分子動力学計算:
物質(本研究では水)を古典力学に従う多粒子系(本研究ではH2O分子の集合体)としてモデル化し、粒子一つ一つについてニュートンの運動方程式を解くことで各粒子の位置やエネルギーなどの時間変化を計算する方法。

(注9)ラマン分光法:
物質に赤外光よりも波長の短い光(紫外光や可視光など)を照射し、ラマン散乱光(物質内の分子の振動により入射光とは異なる波長に散乱された光)を測定することで分子の構造を調べる分析手法。

(注10)振動和周波発生分光法:
周波数Aのレーザー光を可視光、周波数Bのレーザー光を赤外光とし、これらを試料に照射して発生する和の周波数(A+B)の持つ光信号を検出する分析手法。ほとんどの物質の内部ではA+Bの周波数を持つ信号が生じず、界面でのみ生じるという性質があるため、物質界面の分子の構造を選択的に調べることができる。

(注11)吸光度:
物質によって光がどの程度吸収されたかを示す無次元量。

(注12)複素誘電率:
誘電率とは物質中の電界の伝播を表す物理量であり、一般に複素数となるため複素誘電率とも呼ばれる。

(注13)モル吸光係数:
吸収断面積と同様に、分子による電磁波(本研究では赤外光)の吸収の効率を表す物理量。吸収断面積は一分子あたりの吸収効率を表すのに対し、モル吸光係数は1モル濃度(mol L-1)の分子の吸収効率を表す。

―東京大学大学院総合文化研究科・教養学部 広報室―

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