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2026.04.09
【研究成果】遺伝子発現の「ノイズ」を変えるゲノム多型 ──疾患メカニズムを理解するための新しい視点──
2026年4月9日
理化学研究所
大阪大学
東京大学大学院総合文化研究科
概要
理化学研究所(理研)脳神経科学研究センター分子精神病理研究チームの廣瀬直毅客員研究員(大阪大学医学部附属動物実験施設特任助教(常勤)(研究当時)、現同大学院医学系研究科神経情報学特任講師(常勤))、髙田篤チームディレクター、東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻生命環境科学系の坪井貴司教授らの共同研究グループは、ヒト人工多能性幹細胞(iPS細胞)[1]から分化誘導させた中脳の細胞において、遺伝子の発現量のばらつきである「転写ノイズ[2]」を変えるtnQTL(transcriptional noise quantitative trait loci)という量的形質遺伝子座[3]の網羅的カタログを作製しました。本研究により、ヒトの生理的および病的な状態について、転写ノイズとtnQTLが果たす役割が明らかになりました。
本研究成果は、細胞において転写ノイズが生じるメカニズムや、遺伝子多型[4]が疾患に関わる仕組みについて、理解を深めると期待されます。
今回、共同研究グループは、tnQTLと遺伝子の発現量を変えるeQTL(expression quantitative trait loci)という別の量的形質遺伝子座を同定した上で両者を比べた結果、一部のtnQTLには有意なeQTLの作用がなく、eQTLとは違うパターンで遺伝子の転写が始まるゲノム領域(プロモーター)やヒトの疾患関連遺伝子座[5]に濃縮していることが分かりました。
また、統合失調症の患者および統合失調症のマウスモデル[6]の脳を使って統合失調症における転写ノイズの変化を細胞種ごとに調べた結果、大脳皮質の興奮性ニューロンおよび大脳基底核の一部である線条体のドパミン受容体D2陽性ニューロンにおける転写ノイズの変化が、統合失調症の遺伝的リスクと有意に関連することを突き止めました。
本研究は、科学雑誌『Cell Reports』オンライン版(3月26日付)に掲載されました。
背景
細胞では、ゲノムに記録された遺伝情報の一部がRNAへと転写され、その情報を基に必要なタンパク質がつくられます。この転写の量やタイミングは、同じ種類の細胞であっても個々の細胞ごとに一定ではなく、ばらつきが見られます。こうした細胞間のばらつきは「転写ノイズ」と呼ばれ、胚発生や細胞状態の変化に重要な役割を果たすことが知られています。近年、1細胞または1細胞核ごとに遺伝子発現を測定できる技術が発展したことで、転写ノイズを網羅的に捉えることが可能になりました。
さまざまな疾患の遺伝的な特徴を知るために、これまで多くの研究グループが患者と対照者のゲノム多型をゲノムワイド関連解析(GWAS)[7]によって調べ、疾患関連遺伝子座を見つけてきました。一方で、ヒトのさまざまな臓器の組織や細胞について、遺伝子の発現量を変える量的形質遺伝子座「eQTL」も数多く見つけられてきました。そのため、疾患関連遺伝子座が、どの遺伝子の発現量をどのように変えて疾患を引き起こすのかが、注目されています。しかし、遺伝子の発現量そのものだけでなく、細胞ごとの発現のばらつき、すなわち転写ノイズに疾患関連遺伝子座がどのように影響するのかについては、これまでほとんど明らかになっていません。転写ノイズに着目した解析は、従来の発現量解析では捉えきれなかった遺伝的作用を見いだし、さまざまな疾患の発症機構の理解につながる可能性があります。
研究手法と成果
今回、共同研究グループは、ドパミン系およびセロトニン系を含む中脳ニューロンにおける別の量的形質遺伝子座「tnQTL」を、大規模ゲノミクスデータの統計解析によって網羅的に同定しました。さらに、ドパミンやセロトニンなどの神経伝達物質[8]は、多くの精神疾患の病態に深く関与することが知られていることから、今回同定されたtnQTLが、統合失調症をはじめとする精神神経疾患の分子基盤にどのように関与するのかについても探索しました。具体的には次の通りです。
まず共同研究グループは、細胞提供者155人分のヒトiPS細胞から分化誘導させたドパミン作動性ニューロンやセロトニン作動性ニューロン、ニューロン前駆細胞の底板細胞[9]など、合計17種類の細胞種および培養条件から得られた1細胞ごとの遺伝子発現データ注1)を再解析し、細胞種およびドナーごとに遺伝子の転写ノイズと発現量を計算しました。続けて細胞種ごとに、各ドナーの転写ノイズと発現量をそれぞれの遺伝子多型データと照合し、これらの遺伝子発現の特徴を規定する遺伝子多型、すなわちtnQTLとeQTLを網羅的に同定しました。
次に、tnQTLの特徴を知るために、同じ細胞種および培養条件におけるtnQTLとeQTLの作用の有無を調べたところ、一部のtnQTLにはeQTLの作用がありませんでした(図1A)。17種類の細胞種および培養条件について、tnQTLとeQTLの作用が見られる割合をそれぞれ確認した結果、tnQTLの作用が見られる細胞種や培養条件の方が、より限定的でした(図1B)。これらのことから、eQTLに比べて、より限られた細胞種や特定の培養条件下においてのみtnQTLの作用が発揮される仕組みが、細胞には備わっていると考えられます。
B: tnQTLとeQTLの作用が見られる細胞種や培養条件の数とその割合。黒矢印が示すように、eQTLの作用とは異なり、tnQTLの作用の約4分の1は1種類の細胞種や培養条件においてのみ認められた。
遺伝子の転写は、「プロモーター」と呼ばれる遺伝子領域で起こります。プロモーターには、代表的な配列要素として二つの特徴的な構造が見られることがあります。一つは転写の始まる位置から25塩基対ほどさかのぼった位置にある「TATAボックス」という配列構造で、数個のチミン(T)残基とアデニン(A)残基から成ります。もう一つは「CpGアイランド」と呼ばれ、連続するシトシン(C)残基とグアニン(G)残基が高頻度に存在する領域で、200塩基対以上の長さを持ちます。また、プロモーターにおける転写の活性は、プロモーターから遠く離れた「エンハンサー」という遺伝子領域によっても調節されます。
プロモーターとエンハンサーには、eQTLが濃縮していることが広く知られています。そこで共同研究グループは、tnQTLとeQTLの違いをさらに調べるため、tnQTLの作用のみを持つ遺伝子座、tnQTLとeQTLの両方の作用を持つ遺伝子座、eQTLの作用のみを持つ遺伝子座の3種類について、プロモーターとエンハンサーへの濃縮度を調べました。その結果、tnQTLの作用のみを持つ遺伝子座は、eQTLの作用を持つ他の2種類の遺伝子座と違って、TATAボックスのあるプロモーターには濃縮しておらず、また、tnQTLとeQTLの両方の作用を持つ遺伝子座に比べてTATAボックスのないプロモーターやエンハンサーへの濃縮率が低いことが分かりました(図2)。このことは、tnQTLの作用のみを持つ遺伝子座のゲノムにおける存在パターンが、他の2種類の遺伝子座とは異なることを示唆しています。
続いて共同研究グループは、精神疾患(注意欠如多動症(ADHD)、自閉スペクトラム症、双極症、不眠症、うつ病、強迫症、統合失調症)、神経変性疾患(筋萎縮性側索硬化症、アルツハイマー病、パーキンソン病)、その他の疾患(炎症性腸疾患、多発性硬化症、リウマチ性関節炎、全身性エリテマトーデス、2型糖尿病)に関するGWASの要約統計量[10]を使って、これらの疾患の遺伝的リスクとtnQTLの作用との関わりを解析しました。その結果、tnQTLの作用のみを持つ遺伝子座は統合失調症の遺伝的リスクと、tnQTLとeQTLの両方の作用を持つ遺伝子座は多発性硬化症の遺伝的リスクと、それぞれ関わりがあることが示されました(図3)。
さらに共同研究グループは、統合失調症と転写ノイズの関わりをより詳しく調べるために、統合失調症患者の死後脳の前頭前皮質注2)および統合失調症マウスモデルの前頭前皮質と線条体注3)における1細胞核および1細胞ごとの遺伝子発現データを解析しました。その結果、各生物種、脳領域、細胞種ごとに、患者脳やマウスモデル脳において転写ノイズが増加または減少している遺伝子を網羅的に同定できました。さらに、さまざまな細胞種の中でも、大脳皮質の興奮性ニューロンおよび線条体のドパミン受容体D2陽性ニューロンにおいて、転写ノイズが変化している遺伝子に統合失調症の遺伝的リスクが有意に濃縮していることが明らかになりました(図4)。統合失調症の病態や治療には、大脳皮質の興奮性ニューロンと線条体のドパミン受容体D2陽性ニューロンが深く関与することが以前から知られており、興味深いことに、本研究の結果はこれらの知見とよく一致しているものでした。
以上の結果から、tnQTLの作用と転写ノイズの変化は統合失調症の病態や遺伝的リスクに関わることが示されました。
注1)Jerber J. et al. Nat. Genet. 53(3): 304-312, 2021. DOI: 10.1038/s41588-021-00801-6
注2)Batiuk M.Y. et al. Sci. Adv. 8(41): eabn8367, 2022. DOI: 10.1126/sciadv.abn8367; Ruzicka W.B. et al. Science 384(6698): eadg5136, 2024. DOI: 10.1126/science.adg5136
注3)Chen R. et al. Sci. Adv. 8(9): eabm1077, 2022. DOI: 10.1126/sciadv.abm1077
今後の期待
共同研究グループによる今回の研究成果により、今までになかった視点から疾患メカニズムを理解することが可能になると期待されます。また、転写ノイズの生成メカニズムを理解するための基礎研究にも役立つと思われます。
一方で、ゲノム多型によって細胞内の転写ノイズが実際にどれほど変わり、細胞の状態変化にどれほど影響するのかは、さまざまな種類の培養細胞を使った実験による検証が必要であり、今後の課題です。
論文情報
雑誌名:Cell Reports
題名:Genome-wide identification and characterization of QTLs for transcriptional noise in human midbrain cells
著者名:Naoki Hirose, Shota Mizuno, Yuki Niwa, Tomonori Hara, Hirona Yamamoto, Emiko Koyama, Junko Ueda, Takashi Tsuboi, Atsushi Takata
DOI:10.1016/j.celrep.2026.117151
補足説明
[1] 人工多能性幹細胞(iPS細胞)
血液や皮膚の細胞にOCT3、SOX2、KLF4遺伝子などを導入することで人工的に作製される細胞。培養皿内で多様な種類の体細胞に分化させることができる。
[2] 転写ノイズ
細胞の集団にて転写されている遺伝子の発現量について、細胞同士を一つ一つ比べたときに見られるばらつきのこと。
[3] 量的形質遺伝子座
個体や細胞内の現象に対して、定量的に評価できる生物学的な性質や特徴に影響を及ぼすゲノム上の領域のこと。
[4] 遺伝子多型
約30億塩基対から成るヒトゲノムの塩基配列は個人間でわずかに違う。この違いは一塩基の置換(一塩基多型)から、数十塩基までの挿入や欠失(挿入多型、欠失多型)、さらに大きな挿入や欠失(構造多型)などを含む。これらの遺伝子多型の有無とヒトの形質を結び付けるのがGWAS([7]参照)である。
[5] 疾患関連遺伝子座
個人間にて異なるゲノムのアデニン(A)、チミン(T)、グアニン(G)、シトシン(C)の塩基配列のうち、疾患に関わるゲノム上の領域。
[6] 統合失調症のマウスモデル
統合失調症の発症に強く関わることが知られているヒトのSETD1A遺伝子と相同なマウスのSetd1a遺伝子について、父親と母親に由来する1対の遺伝子座の片方を遺伝子改変技術によって機能欠損させたマウス。
[7] ゲノムワイド関連解析(GWAS)
個人間にて異なるゲノムの塩基配列のうち、1%以上の頻度にて集団内に認められる数十万から数百万カ所の一塩基多型について網羅的に調べて、疾患の有無などと関わるゲノム上の領域を決める研究手法。GWASはgenome-wide association studyの略。
[8] 神経伝達物質
ニューロンが軸索の投射先である別のニューロンや筋肉細胞などに情報を伝達するために、神経終末から放つ化学物質。ドパミン、セロトニンの他、ノルアドレナリン、グルタミン酸、アセチルコリン、GABA、グリシンなどがあり、各ニューロンは特定の化学物質を神経伝達物質として使う。
[9] 底板細胞
脊椎動物の発生期において、背側正中部に存在する神経管(将来の脊髄)の腹側壁(底板)を構成する細胞。神経細胞の分化と軸索の誘導に関わる。
[10] GWASの要約統計量
1%以上の頻度にて集団内の個人間に認められる数十万から数百万カ所の一塩基多型それぞれについて、疾患との関連の強さを表現したもの。疾患群と健常群に多型の違いがないという仮説の下、疾患群にてその多型を認める確率(P値)を用いることが多い。
共同研究グループ
理化学研究所
脳神経科学研究センター 分子精神病理研究チーム
客員研究員 廣瀬直毅
(大阪大学 医学部附属動物実験施設 特任助教(常勤)(研究当時)、現 同大学院医学系研究科 健康スポーツ科学講座 神経情報学教室 特任講師(常勤))
チームディレクター 髙田 篤
特別研究員(研究当時) 水野翔太(現 基礎科学特別研究員)
客員研究員 原 伯徳
大学院生リサーチ・アソシエイト(研究当時) 山本明那
テクニカルスタッフⅠ 小山恵美子
テクニカルスタッフⅠ 上田(林)順子
大学院総合文化研究科 広域科学専攻 生命環境科学系
教授 坪井貴司
大学院理学系研究科 生物科学専攻
大学院生 丹羽優希
(理研 脳神経科学研究センター 分子精神病理研究チーム 大学院生リサーチ・アソシエイト)
研究支援
本研究は、日本医療研究開発機構(AMED)ゲノム医療実現推進プラットフォーム事業「オリゴジェニックモデルに基づくヒト疾患の遺伝的構造の解析(研究代表者:髙田 篤)」、同ゲノム研究を創薬等出口に繋げる研究開発プログラム「全ゲノムデータ基盤新規作用機序抗精神病薬探索プラットフォームの開発(研究代表者:岩田仲生)」、同脳神経科学統合プログラム「脳データ統合プラットフォームの開発と活用による脳機能と疾患病態の解明(研究代表者:岡部繁男)」、同革新的先端研究開発支援事業「スナップショットシングルセルデータからの神経活動応答ダイナミクス推定手法開発:精神疾患研究への応用および応答個人差の遺伝的基盤解明(研究代表者:髙田篤)」、同医学系研究支援プログラム「がん・神経・感染症における横断的研究推進による研究力向上計画(研究代表者:岩田仲生)」、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業基盤研究(B)「双極性障害大規模シーケンス解析による稀な生殖細胞系列変異と体細胞変異の包括的研究(研究代表者:髙田篤)」「妊娠期低栄養がもたらす子の鉄・脂質代謝異常と統合失調症リスク形成メカニズムの解明(研究代表者:前川素子)」、同基盤研究(A)「種間横断サブシングルセル空間トランスクリプトミクスによる統合失調症の分子病理解明(研究代表者:髙田篤)」、同若手研究「精神疾患の関連遺伝子座位はドパミン作動性ニューロンの遺伝子発現ノイズを増やすか?(研究代表者:廣瀬直毅)」「大規模ASD患者ゲノムデータ解析によるリピート長変異の同定および包括的リスク評価(研究代表者:水野翔太)」、同研究活動スタート支援「大規模家系ゲノムデータ解析によるDenovo遺伝子変異の父年齢効果関連遺伝子座の同定(研究代表者:水野翔太)」による助成を受けて行われました。また、本研究では、情報・システム研究機構国立遺伝学研究所が有する遺伝研スーパーコンピュータシステムを利用しました。

