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2026.05.18
【研究成果】膜の流動性を下げる脂質の働きを発見
2026年5月18日
東京大学
発表のポイント
- シグナル伝達分子として知られるホスホリパーゼD(PLD)に脂質膜の流動性を制御する働きがあることを発見しました。
- 細胞膜のミクロな構造化に関わる新たな因子を同定しました。
- PLDは細胞の栄養獲得や走化性だけでなく麻酔薬による神経系の抑制等に関わる重要な分子です。膜ダイナミクスの観点からこうした細胞生理の理解が深められることが期待されます。
概要
東京大学大学院総合文化研究科の本田玄助教、柳澤実穂准教授、澤井哲教授らによる研究グループは、細胞膜の流動性を制御する新たな機構を明らかにしました。本研究では、細胞破砕液(注1)が脂質膜の流動性を低下させるという意外な現象に着目し、人工脂質膜や生体膜の計測を主とした解析により、ホスホリパーゼD(PLD)(注2)の生成物であるホスファチジン酸に膜の流動性を低下させる働きがあることを発見しました。細胞の栄養獲得や走化性(注3)誘引物質の刺激に対する応答では、細胞膜内に脂質の区画が形成されることで膜突出構造の前駆体となります。最近の研究において、この区画の内外での膜タンパク質の拡散性の変化が区画の形成に関わることが示唆されていました。しかし、膜上で分子の拡散がどのように制御されるのかは明らかにされていませんでした。本研究は、PLDが膜タンパク質の拡散を制御することで脂質の区画の広がりを抑え、細胞膜のミクロな構造形成に関与することを明らかにしました。
発表内容
細胞膜は、細胞の内と外を隔てる単なる境界ではなく、多くの細胞機能が発現する重要な化学反応の場です。膜の中には多数の脂質やタンパク質が含まれており、それらは熱運動によって高速に動き回っています。細胞膜にはこのような高い流動性を伴う2次元的な液体としての性質があります。しかし、インクの滴が水の中に広がって消えていくように、膜上の分子は速やかに薄められていく傾向があります。このことは、細胞が刺激に対して高い反応性を示したり、膜を変形させたりする際に必要となる膜内の構造化を妨げる方向に働きます。細胞膜中の分子の拡散を制限する微細構造に関して、これまで精力的な研究が行われてきましたが、既存のモデルでは説明できない現象が多く残されています。
このたび本研究チームは新たな膜流動性の制御機構を見つけるために、細胞破砕液が脂質膜をモザイク状にパターン化させる現象に注目しました(図1)。この現象はカエルの卵破砕液を使った実験で既に報告されていましたが、細胞性粘菌(注4)とヒト由来培養細胞HEK293株から得られた破砕液でも再現したことから、真核細胞の破砕液に共通した現象であることが分かりました。光褪色後蛍光回復法(注5)を用いて脂質分子の拡散を計測したところ、脂質膜のパターン化に伴って流動性が失われていることが明らかとなりました。このような現象は細胞破砕液の熱処理によって起こらなくなることから、何らかの酵素反応によって引き起こされていることが示唆されました。そこで研究チームが注目したのがリン脂質の加水分解酵素であるPLDでした。PLDが膜流動性を低下させる主要因であることは、薬理学的実験、遺伝子ノックアウト実験、酵素反応の速度論的解析による、多角的な検証から確認されました。PLDの生成物であるホスファチジン酸(PA)を含有する膜では脂質分子の拡散が顕著に低下する一方、pHシフトによるPA内リン酸基の第二解離によって上昇することから、リン酸基を介した脂質分子間の水素結合が膜流動性を低下させる機構と考えられます。さらに本研究では、細胞内における拡散制御因子としてのPLDの働きについて、マクロピノサイトーシス(注6)や走化性との関連が詳細に解析されました。PLDは動物細胞の走化性や力感知における重要なシグナル伝達分子であり、近年では麻酔薬が神経細胞の活動を阻害する際に中心的な役割を果たす分子として注目されています。本研究は、こうした重要な細胞生理に関わる可能性のあるPLDの拡散制御因子としての新たな側面を提示しました。
〇関連情報:
「プレスリリース:口を使った細胞の移動 -アクチン波による細胞外形状情報の読み取り」(2021/12/8)
https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/press/z0109_00028.html
発表者・研究者等情報
東京大学
大学院総合文化研究科広域科学専攻相関基礎科学系
本田 玄 助教
兼:大学院総合文化研究科附属先進科学研究機構
柳澤 実穂 准教授
兼:大学院総合文化研究科附属先進科学研究機構/複雑系生命システム研究センター・生物普遍性連携研究機構
澤井 哲 教授
兼:複雑系生命システム研究センター・生物普遍性連携研究機構
論文情報
雑誌名:Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America
題名:"Phospholipase D regulates on-membrane diffusivity of a myristoylated protein and defines the PIP3 patch territory"(5月14日付掲載)
著者名:Gen Honda, Chihuku Tanaka, Hidenori Hashimura, Tomoko Adachi, Mina Fujishiro, Nao Shimada, Satoshi Sawai, Miho Yanagisawa
DOI:10.1073/pnas.2608790123
URL:https://www.pnas.org/doi/10.1073/pnas.2608790123
研究助成
本研究は、JST CREST「革新的計測技術による相転移ダイナミクスの解明(課題番号:JPMJCR22E1)」、「細胞動態スペクトラムから紐解く多細胞秩序の創発規則(課題番号:JPMJCR1923)」、FOREST「ナノ-マクロ空間相転移の学理によるシン材料科学(課題番号: JPMJFR213Y)」、ならびに科研費「硬直化した粘菌胞子はいかにして流動性を取り戻すのか?(課題番号:25K18459)」、「高分子混合系の相転移から解く細胞サイズの物理学(課題番号:22H01188)」、「細胞サイズ空間での生体分子クラスター形成および超分子構造転移の解明(課題番号:24H02287)」、「自他認証系のヘテロ細胞アセンブリの物理則と進化則の解明(課題番号:25H01363)」等の支援により実施されました。
用語解説
(注1)細胞破砕液:
細胞膜を破壊して細胞内の液体(細胞質)を得るためのさまざまな方法が確立されているが、本研究では、脂質膜を可溶化させる界面活性剤を用いない機械的破砕法(フレンチプレス、超音波破砕)が採用された。遠心分離によって破砕液からオルガネラと非水溶性の膜画分が除去された細胞質の水溶性成分が取得された。
(注2)ホスホリパーゼD(PLD):
リン脂質の加水分解酵素の一つ。リン脂質への作用部位によってAからDまで分類される。そのうちホスホリパーゼD(PLD)は、リン脂質頭部の極性塩基との間のホスホジエステル結合を加水分解することで、真核細胞の主要な膜成分であるホスファチジルコリンを分解してホスファチジン酸を生成する。
(注3)走化性:
特定の化学物質に対する細胞の定向性運動。餌の探索や忌避行動、炎症応答、生体組織の形成等において、細胞を空間的に導く機構。
(注4)細胞性粘菌:
土壌中に生息するアメーバ細胞。細胞運動や発生のモデル生物として研究されている。
(注5)光褪色後蛍光回復法:
蛍光分子に強いレーザーを照射して分子構造を壊すことで蛍光放出能を失わせる(褪色)ことを利用した拡散測定の方法。蛍光標識された脂質やタンパク質をトレーサーとして膜内に含ませておきレーザーで局所的に褪色させると、拡散によって周囲から蛍光分子が流入して照射領域内の蛍光が回復する。これに要する時間から分子の拡散係数が見積もられる。
(注6)マクロピノサイトーシス:
細胞外の分子を取り込むエンドサイトーシス過程の一つで、直径数マイクロメートルの大きな膜小胞(マクロピノソーム)を形成する。クラスリン依存性エンドサイトーシスのような小さいスケールの過程と比較して表面積-体積比が小さいため、細胞外の液相の取り込みが主な働きとされる。

