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最終更新日:2026.10.28

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トピックス 2026.10.28

【研究成果】競技引退後のアスリートが届けるメンタルヘルス教育 ──メンタルヘルス・リテラシーと心理的安全性に着目──

2026年10月28日
東京大学

発表のポイント

  • 引退アスリートがファシリテーターとなる90分間のメンタルヘルス教育プログラムを、国内の競技チームで実施し、実施前・直後・2か月後の変化を検討しました。
  • メンタルヘルス・リテラシーと、悩みや困りごとを安心して話せると感じる「心理的安全性」は、実施直後および2か月後に実施前より高い値を示しました。一方、専門家への援助希求意図には明確な統計的変化は確認されませんでした。
  • 「知識を伝える」だけでなく、相談や開示をしやすいチーム環境にも着目し、引退アスリート自身の競技経験を「経験知」として活かしたメンタルヘルス教育をスポーツ現場に取り入れるための基礎的知見を得ました。今後、対照群を設けたより大規模な検証が必要です。
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岐阜Bluvic(岐阜ブルビック、バドミントンチーム)でのプログラム実施の様子。引退アスリートがファシリテーターとなり、選手とメンタルヘルスについて対話する教育プログラムを実施した。

概要

 東京大学大学院総合文化研究科の小塩靖崇特任講師と工藤和俊教授は、国内の競技チームを対象に、引退アスリートがファシリテーターとなって実施するメンタルヘルス教育プログラムを評価しました。競技選手を対象に90分間の教育セッションを実施し、メンタルヘルス・リテラシー(注1)、心理的安全性(注2)、援助希求意図(注3)を実施前、直後、2か月後に測定しました。その結果、メンタルヘルス・リテラシーと心理的安全性は実施直後に実施前より高い値を示し、2か月後にも実施前より高い値でした。一方、援助希求意図には明確な統計的変化は確認されませんでした。本研究は、選手個人の知識だけでなく、「相談や開示をしやすい環境」にも着目した、スポーツ現場におけるメンタルヘルス教育・支援の実装を検討するための基礎的知見となります。

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図1:メンタルヘルスに関する基礎知識を学ぶだけでなく、競技生活で経験する困りごとや相談のしやすさについて、選手との対話を交えながら進めた。

発表内容

①背景
競技アスリートも不安、抑うつ、睡眠の問題などを経験しますが、スポーツ特有の規範や、選考・評価への懸念、スティグマなどが相談を妨げることがあります。そこで本研究では、メンタルヘルス・リテラシーに加え、困りごとや弱さを安心して話せる「心理的安全性」に着目しました。

②研究方法
国内のバドミントン、バレーボールの2競技チームを対象に、引退アスリートがファシリテーターとなる90分間の教育セッションを実施しました。講師は事前にIOC「Mental Health in Elite Athletes Toolkit(日本語版)」を用いて学習し、教材・進行台本の確認、リハーサル、ファシリテーターとしての役割や、相談を受けた際の対応を確認しました。セッションはメンタルヘルス専門職が監修しました。調査は実施前、実施直後、2か月後に行い、メンタルヘルス・リテラシー、心理的安全性、援助希求意図を評価しました。52名が実施前・直後の調査に回答し、34名について2か月後までのデータがそろいました。

③主な結果
2か月後まで回答がそろった34名を対象とした解析では、メンタルヘルス・リテラシーと心理的安全性はいずれも実施直後に上昇し、2か月後にも実施前より高い値を示しました。また、実施前の心理的負担(APSQ)により高群・低群に分けた探索的解析も行いましたが、変化のパターンに統計的に明確な群間差は確認されませんでした。一方、相談に前向きな回答(援助希求意図)の割合は41%から53%、2か月後50%と推移しましたが、明確な統計的変化は認められませんでした。

④本研究の意義と今後
本研究は、知識だけでなく「相談や開示をしやすい環境」に着目し、現役の評価や選考から一定の距離にある引退アスリートが、自身の競技経験を「経験知」として活かしながら教育を担うモデルを検討した点に特徴があります。こうした、当事者自身が経験を言葉にし、課題の理解やよりよい支援環境づくりに主体的に関わる実践は、「当事者研究」(注4)の考え方とも接点があります。また、選手の心理的負担によって変化のパターンが異なる可能性も探索しましたが、対照群を置かない少人数の予備的研究であり、教育プログラムの効果や群による違いを断定することはできません。今後、より大規模な対照研究で検証する必要があります。

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img-20261028-pr-sobun-ooyama.jpg 研究に協力したアスリートからのコメント

大山加奈さん(元バレーボール選手)
「現役時代を振り返ると、「こうあるべき」という考えに縛られ、一人で抱え込んでしまったことがありました。だからこそ、安心して本音を話せる環境があることは、競技を続ける上でも、その先の人生を考える上でも大切だと感じています。元アスリートだからこそ、評価や選考から少し距離のある立場で、自身の経験を伝えながら選手に寄り添えることがあると思います。選手が自分らしい選択を重ね、前向きに挑戦できる環境が広がってほしいです。」


img-20261028-pr-sobun-sugimoto.jpg 杉本美香さん(元柔道選手)
「元アスリートとして自身の競技経験を伝えながら現役選手と対話する中で、勝敗や立場を離れて本音を交わす時間の大切さを感じました。挫折や迷いも含めた経験を共有することが、「悩んでいるのは自分だけではない」という安心や、人に助けを求めることへの抵抗を和らげるきっかけになればと思います。こうした対話が、心の健康への理解を深め、競技の内外で自分らしく歩むことを支える一歩になることを願っています。」





img-20261028-pr-sobun-kawamura.jpg 川村慎さん(元ラグビー選手)
「アスリートは、限られた人間関係や競技特有の環境の中で過ごす時間が長く、「こうあるべき」といった考え方に影響を受けやすいことがあります。そうした中で、現役の評価や選考から一定の距離にある引退アスリートが、利害関係の少ない立場で話を聴き、自身の経験も交えながら対話することには大きな意味があると感じています。安心して話せる環境があることで、悩みや変化への早い気づきや自己理解につながり、競技だけでなく、その先の人生においても挑戦を続ける土台になるのではないかと思います。」



img-20261028-pr-sobun-yuda.jpg 湯田葉月さん(元フィールドホッケー選手)
「アスリートは競技に真剣に向き合うほど、知らず知らずのうちに自分を追い込み、それが当たり前になってしまうことがあります。だからこそ、競技生活を経験した元アスリートが、一歩外からの視点を持ちながら寄り添うことには意味があると感じています。対話を通して自分の気持ちに気づき、競技以外にも安心して自分らしくいられる場所があると知ることが、選手を支える一つのきっかけになればと思います。」

 なお、本研究は、東京大学大学院総合文化研究科・教養学部倫理委員会の承認を得て実施しました(承認番号:1079)。


発表者・研究者等情報

東京大学大学院総合文化研究科
小塩 靖崇 特任講師
工藤 和俊 教授


論文情報

雑誌名:Scientific Reports
題名:Changes in mental health literacy and perceived psychological safety following a retired athlete-led, team-embedded education session in sport(10/26最終版公開)
著者名:Yasutaka Ojio, Kazutoshi Kudo
DOI:10.1038/s41598-026-76719-y
URL:https://www.nature.com/articles/s41598-026-76719-y


研究助成

本研究は、トヨタ財団(D22-PI-0002)、JSPS科研費 国際共同研究加速基金(国際共同研究強化(B))(21KK0226)、学術知共創プログラム(23812031)、ならびに株式会社クボタからの寄附研究費の支援を受けて実施されました。


用語解説

(注1)メンタルヘルス・リテラシー(Mental Health Literacy)
メンタルヘルスの問題に気づき、理解し、適切に対処したり、必要な支援につながったりするための知識や考え方。

(注2)心理的安全性
自分の困りごとや不安、意見などを表明しても、非難や不利益を受ける心配が少ないと感じられる状態。本研究では、スポーツチームにおけるメンタルヘルスに関する心理的安全性を評価した。

(注3)援助希求意図
メンタルヘルスの問題を感じた際に、専門家などに相談・支援を求めようとする意向

(注4)当事者研究
困りごとや生きづらさなどを経験する本人が、自身の経験を言葉にし、他者との対話などを通して、その背景や付き合い方を主体的に探究する実践。本研究そのものは当事者研究を方法論として実施したものではありませんが、引退アスリート自身の経験知を教育や対話に活かす点で、その考え方との接点があります。

―東京大学大学院総合文化研究科・教養学部 広報室―

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