HOME総合情報概要・基本データ刊行物教養学部報666号(2025年10月 1日)

教養学部報

第666号 外部公開

二次元半導体と分子化学、偶然が生んだ研究と雑感

桐谷乃輔

 コロナ禍を経て、半導体産業が社会的な注目を集めるようになった。私の研究室では、二〇三五年前後に重要になると期待されている「二次元半導体」の研究に取り組んでいる。二次元半導体とは、原子が二次元の面内に整然と並んだ構造をもつ物質である。その骨格の薄さは特筆すべきもので、わずか原子三層分、約0.7ナノメートルという極薄の構造を有している。この特徴を活かすことで、従来の半導体を超えた小型化、透明性、柔軟性といった新たな電子素子の可能性が拓かれると期待されている。

 二〇一〇年以降、二次元半導体の研究は世界的な注目を集め、現在に至るまで物理学や電子工学の分野がその発展を牽引してきた。これは、半導体研究の核心が電子の挙動や状態にあることを考えれば、自然な流れである。その中で私たちは、化学の視点からこの分野に新たな価値をもたらせないかと模索してきた。具体的には、分子をくっつけた(相互作用をさせた)二次元半導体を研究対象としている。分子は、化学という学問の本領が最も発揮される存在であり、その面白さでもある「ぐにゃぐにゃと形を変える特徴(柔軟な骨格)」は、原子が規則正しく並ぶ半導体結晶とは対照的である。この違いは、物質観が異なるとともに、従来の半導体を扱ってきた手法では容易に扱えない難しさを伴う。研究を進める中で「これは難しい」と感じる場面は少なくはないが、その差異こそが、新たな価値を生むのだろうと考えている。

 「分子の大きさはどれくらいか」と問われれば、私は「およそ1ナノメートル」と答えることにしている。実際に原子間力顕微鏡などで観察をしても、その程度か、あるいはそれ以下であることが多い。この小さな分子を二次元半導体にくっつけるにあたって、課題があった。それは、分子を付着させると二次元半導体表面が「汚れる」という問題である。ここでいう「汚れる」とは、分子が厚く堆積し、表面を覆ってしまう現象を指す。具体的には、肉眼でも確認できるほどの微細な粒子が半導体表面に現れるのである。半導体工学において、表面の清浄性は命といってよいほど重要である。しかし、分子はお互いがベタベタとくっつく性質(ファンデルワールス相互作用)をもつため、一度付着すると次々と集まり、勝手に厚い層を形成してしまう。結果として、「二次元的」であるはずの二次元半導体が、分子処理によって、もはや二次元とは呼べない状態になってしまう。この問題は長らく私たちの研究を悩ませてきた。私はこの研究をはじめてから十年近く、この不都合を「仕方がない」と割り切ってきた。なにしろ、分子と二次元半導体の界面を研究しているのだから、分子が厚く堆積するのは避けられない、と。

 長年の課題が、偶然によって解決されたことは、興味深い出来事であった。きっかけは、今から数年前に、有機化学の先生から「こんな分子があるよ」とたまたま紹介され、補足実験としてリン原子を含む非対称性をもつ分子を用いることになったことである。実験はシンプルで、二次元半導体の表面にその分子を処理し、加熱するという手順であった。優秀な学生さんが丁寧な実験をした結果、この分子を用いた場合、肉眼では何も確認できないほど清浄な表面が得られた。まるで、分子が全く付着していないかのような錯覚を覚えるほどであった。しかし、光学測定や伝導度測定などの結果から、分子が確かに二次元半導体にくっついていることは明らかであった。後の解析により、表面に吸着した第一層の分子を残し、第二層以降の余剰分子は加熱時に揮発して除去されることが判明した。結果として、二次元半導体と直接接触する単分子層のみを残すことに成功し、大きな問題であった「分子の堆積による汚染」を解消することができたのである。この成果は極めて重要な意味をもつ。表面の清浄性を維持できたことのほかに、この分子が付着した二次元半導体は、専門的には金属的な状態へと変換されたからである。エレクトロニクスにおいて金属は不可欠であり、金属と半導体の界面は重要な研究課題である。特に、二次元半導体は新しい物質群であるため、金属との界面の問題が顕在化している。この点で、厚さ1ナノメートルにも満たない分子層によって、二次元半導体に金属的性質を付与できる発見は、斬新であった。

 「汚れない」分子処理を施した二次元半導体の研究は、偶然が重なり、半導体企業との研究へと発展した。発端は、知り合いの先生から「共同シンポジウムで講演をしませんか」とお声がけいただいたことである。さらに幸運なことに、その企業が求めていた方向性と私たちの研究はまさに合致していたことである。こうして始まった共同研究が進められ、先日、その成果を論文として提出するに至った。この機会を得られたことで、新たな課題が見つかった。現在はその解決に向けて研究を深化させており、世の中に新たな価値を与えられそうな期待を感じている。

 当初、化学の視点から取り組んだ私たちの研究は、半導体の進展に寄与するどころか、むしろ「汚すだけ」の研究に過ぎないのではないかと思われた。しかし、少しずつではあるが半導体分野に貢献できる手応えを感じるようになっている。ただただ運が良かったとも思う。自身の雑感として、「面白いはず」と感じる対象に粘り強く取り組めるかどうか、これが偶然を引き寄せるのには肝要なのだろう。本稿は教養学部報に寄稿するにあたり、学部の学生さんが手に取ることもあるかもしれないと想定して執筆した。だれかの参考になれば幸いである。最後に、研究室のメンバーや周囲の方々への心からの感謝を申し上げ、結びとさせていただく。

(相関基礎科学/化学)

〇関連情報
【研究成果】有機ポリマーによる2次元物質の新奇構造制御を実現 ──分子のチカラで不安定な構造を「安定化」する──
https://www.c.u-tokyo.ac.jp/info/news/topics/20250515140000.html

第666号一覧へ戻る  教養学部報TOPへ戻る

無断での転載、転用、複写を禁じます。

総合情報