教養学部報
第670号 ![]()
<駒場をあとに> 夢の途中
石田 淳
駒場にはいつも夢がある。夢が成就しないのだから無理もない。
本郷の社会科学研究所にいた私が駒場の総合文化研究科でお世話になることになったのは二〇〇五年のこと。その頃の駒場キャンパスでは、現在のアドミニ棟の位置にあった教養「学部」図書館と、8号館にあった教養「学科」図書室とが合体して二〇〇二年には駒場図書館が竣工するなどしていた。駒場は施設整備に鋭意対応中と感じられた。研究室の面積は、研究棟の竣工時点における教官(当時)研究室の基準面積で決まり、しかもそれは確実に縮小傾向にあるとのことだったので、駒場の2号館(一九八六年)の研究室は、本郷の社研本館(一九五四年建設)の研究室よりも手狭になったが、それは全く気にならなかった。どうにも気になったのは、個人研究室の書架に図書館のラベルの貼られた本が鎮座していることだった。
聞くところでは、大学法人化以前の施設整備では駒場の研究・教育に必要な規模の図書館を建設できなかったらしい。とは言え、いずれ図書館Ⅱ期棟が建つので、その暁にはラベル付きの本は移送できますからと。図書館Ⅱ期棟計画はそれから私の夢にもなった。
研究室からラベル付きの本を一掃することが夢となった訳ではない。駒場では、人間社会が直面する諸課題は総合知なくしては解決しえないとして、学部前期課程は言うに及ばず、後期課程さらには大学院においても、統合型の思考様式を探求してきた。しかもこの姿勢は、内に秘めた決意のようなものではなく、外に向けて公言し続けてきたのである。これは、駒場の「分科」「学科」「コース」「専攻」「研究科」が、ことごとくとは言えないまでも、おおかた総合・統合・学際・超域・相関の文言で修飾された組織名称を持つことにあらわれている(付言すれば、学部後期課程を駒場で修了したものに授与される学位「教養学士」の英語名称はBachelor of Liberal Artsである)。そうであればこそ、知の専門分化が図書の分散(たとえば研究領域ごとの図書室・館の設置)を志向するのとは対照的に、統合知の探究は「図書の統合」(Ⅱ期棟計画を通じた学際知型の図書館の実現)を必要とするのは当然のことではないだろうか。
私は駒場では二十一年間お世話になった。長かったはずだが、夢の成就には短かった。Ⅱ期棟はまだ夢。今となってはこの夢が、一日も早く夢ではなくなることを祈るばかりである。
とは言え、駒場での日々は愉しかった。それもまた、夢のようであった。
学部前期課程、学部後期課程、そして大学院の三層に亘って自分の専門である国際関係論・国際政治の講義・演習を行い、学部生・大学院生とともに議論しながら研究を進めることができた。研究者としての私の関心は、歴史的な文脈における国内政治と国際政治との連動を意識しつつ、国家間における紛争のエスカレーションの原因と、交渉を通じた紛争解決の条件を解明することにあった。駒場に着任する以前から、アメリカ政治外交史と経済的な分析手法(とりわけ非協力ゲーム理論)には関心があったが、着任以降は、予見可能な国家間の相互作用が実現する条件として国際法の果たす役割にも視野を広げることができた。隣接分野の同僚たちからもたえず刺激を頂いた。政治・法・経済の学際知を基盤に、現代国際政治に変化と多様性をもたらす要因を深く理解したいと考えていた私にはもったいないほどの知的環境が駒場にはあった。
思考の質は、実際の、あるいは想像上の対話の相手(読者・聴衆)に依存するとつくづく思う。想像上の相手と言えば、かつての指導教員の眼光を忘れることはなかったし、実際の相手としては、通り一遍の通説では到底満足しない聴講者の表情の動きが、さらに深く考えることを求めているように感じられた。講義のあと、新緑のあるいは黄葉の銀杏並木を歩きながら、あそこでは、こう言えばよかったと、終わったばかりの講義を悔やんだことも幾度となくあった。
この通り、夢のような知的環境が用意されていたにもかかわらず、自らなしえたことの乏しさに恥じ入るばかりである。そのわが身のことはさておいて、次世代の研究者たちにはあれこれ望んだ。這えば立て、立てば歩めと言わんばかりだったのではないか。この駒場の日々が、記憶の中で遠くなる前からすでに懐かしい。
(国際社会科学/国際関係)
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