ニュース
2025.07.30
【研究成果】「液体のり」の成分を利用した悪性胸膜中皮腫治療 ──ホウ素中性子捕捉療法用ポリビニルアルコール製剤の実用化に向けた画期的一歩──
2025年7月30日
東京大学
京都大学
ステラファーマ株式会社
発表のポイント
- 難治性の悪性腫瘍を治療することを目的としたホウ素中性子捕捉療法の実現に向け、液体のりの成分として使用されるポリビニルアルコールを用いた製剤を開発しました。
- マウス実験で悪性胸膜中皮腫を模倣した胸部悪性腫瘍に対して、高い抗腫瘍効果をもたらし、生存率を大幅に向上しました。
- 本研究成果により、難治性の胸部悪性腫瘍を効果的に治療することができるようになると期待されます。

概要
東京大学大学院総合文化研究科の小成田翔大学院特別研究学生、野本貴大准教授らは、ホウ素中性子捕捉療法(BNCT、注1)に使用されるホウ素薬剤や類似化合物に、液体のりに使われるポリビニルアルコール(PVA、注2)を加えると、腫瘍集積性・滞留性、抗腫瘍効果が劇的に向上することを発見してきました。PVA製剤の実用化を目指し、京都大学複合原子力科学研究所の鈴木実教授、ステラファーマ株式会社(BNCT用医薬品を製造販売する企業)らと共同で改良を重ねてきた結果、悪性胸膜中皮腫(注3)を模倣したマウスの胸部悪性腫瘍を、副作用を抑えながら治療し、生存率を大幅に向上することに成功しました。近年普及しつつある加速器型中性子線源と組み合わせることで、悪性胸膜中皮腫をはじめとした難治性深部腫瘍の効果的な治療につながることが期待されます。日本発、世界に輸出可能な医療技術として発展させるべく、現在、日本医療研究開発機構(AMED)次世代がん医療加速化研究事業(P-PROMOTE)から支援を受けながら産学共同研究を加速させています。
発表内容
<研究の背景>
BNCTは、ホウ素薬剤を腫瘍細胞に選択的に集積させ、体外から熱中性子を照射することで、腫瘍細胞内で核反応を起こし、腫瘍細胞だけを破壊する治療法です(図1A)。特に、外科手術や従来の放射線治療が困難な、広範囲に広がった腫瘍や深部に位置する腫瘍に対して、非侵襲的な治療法として期待されています。BNCTに用いられる唯一の承認薬である「4-L-ボロノフェニルアラニン(BPA)(図1B)」は、腫瘍細胞に過剰発現しているアミノ酸トランスポーター(LAT1、注4)を介して腫瘍細胞に取り込まれます。しかし、BPAは細胞外の濃度が低いと細胞内から排出されてしまうため、腫瘍内に長時間とどまることが難しいという課題がありました。この課題から現在のBNCTでは、約1時間とされている熱中性子照射中もBPAの点滴投与を継続する必要がありますが(図1C)、悪性胸膜中皮腫(図1D)のような深部の腫瘍の治療では照射時間がさらに長くなることもあります。そのため、細胞内に薬剤を長時間保持できる技術が求められていました。

<研究の内容>
本研究グループは、以前の研究でPVAとBPAを混ぜるだけというシンプルな方法でBPAの腫瘍内滞留時間を延長し、抗腫瘍効果を高めることを発見していました。本研究では、このPVAとBPAから作られる製剤(PVA-BPA製剤)を臨床応用に近づけるため、製剤の最適化と、難治性の胸部悪性腫瘍に対する有効性を検証しました。
1. 製剤の最適化と安全性向上
従来のPVA-BPA複合体は、調製時に弱塩基性のpH条件が必要でしたが、これが一時的に腎臓に好ましくない影響を与える可能性が懸念されました。そこで、ソルビトールを添加することで、生理的なpH(7.6-7.8)での製剤化に成功しました。この改良された製剤「PVA-sorbitol-BPA」は、腎機能障害の指標となる血中尿素窒素(BUN)やクレアチニン(CRE)、細胞毒性を示す乳酸脱水素酵素(LDH)の値が、従来のPVA-BPAと比較して大幅に低減され、副作用が許容範囲に抑えられることが確認されました(図2A)。
2. 胸部腫瘍モデルでの高い集積性と滞留性
ヒト肺腺がん細胞を胸腔内に移植した、悪性胸膜中皮腫を模倣した胸部腫瘍モデルマウスを用いて、PVA-sorbitol-BPAの生体内分布を評価しました。その結果、PVA-sorbitol-BPAは、従来のBPAと比較して、腫瘍内への効率的な集積と、長時間のホウ素濃度維持が確認されました。これにより、BNCTに必要なホウ素濃度を、腫瘍内で長時間維持することができるようになりました(図2B)。
3. 生存期間の有意な延長
胸部腫瘍モデルマウスに対するBNCT効果を評価したところ、PVA-sorbitol-BPAを投与した群は、従来のBPA単独投与群と比較して、有意な生存期間の延長を示しました。PVA-sorbitol-BPA群の生存期間中央値は85日以上であり、BPA単独群の46日、無治療群の23日を大きく上回りました(図2C)。この結果は、元々BNCT効果の高いBPAの薬効をPVAがさらに高めることを示唆しています。

<今後の展望>
本研究で開発されたPVA-sorbitol-BPAは、深部に位置する腫瘍(特に胸部腫瘍)に対するBNCTの有効性を大きく向上させる可能性を秘めています。PVAは医療用添加剤としても広く使われており、その安全性と調製の簡便さから、臨床応用に向けた迅速な移行が期待されます。今後、本研究成果を基に、より詳細な安全性評価と非臨床試験を進め、将来的には悪性胸膜中皮腫をはじめとする難治性胸部悪性腫瘍へのBNCTの適応拡大を目指します。
〇関連情報:
「プレスリリース① ステラファーマ、三菱ケミカルグループ、東京大学が共同研究契約締結〜ホウ素中性子捕捉療法(BNCT)用ポリビニルアルコール(PVA)製剤の実用化を加速〜」(2023/12/11)
https://www.c.u-tokyo.ac.jp/info/news/topics/20231211150000.html
「プレスリリース② 「液体のり」の成分と「鏡」を利用したがん治療 ──ポリビニルアルコールが"役に立たない"化合物に秘められた効果を引き出す──」(2024/12/04)
https://www.c.u-tokyo.ac.jp/info/news/topics/20241204140000.html
発表者・研究者等情報
東京大学 大学院総合文化研究科
小成田 翔 大学院特別研究学生
野本 貴大 准教授
京都大学 複合原子力科学研究所
鈴木 実 教授
ステラファーマ株式会社
上原 幸樹 代表取締役社長
論文情報
雑誌名:International Journal of Pharmaceutics
題名:Poly(vinyl alcohol) enhancing therapeutic effects of 4-L-boronophenylalanine on thoracic tumors in neutron capture therapy
著者名:Kakeru Konarita, Minoru Suzuki, Daiki Tokura, Megumi Sunahara, Aya Sudani, Yuko Ishino, Hideki Nakashima, Toshimitsu Hayashi, Koki Uehara, Nobuhiro Nishiyama, Takahiro Nomoto*
DOI:10.1016/j.ijpharm.2025.125955
研究助成
-
本研究は下記の支援により実施されました。
- 日本医療研究開発機構(AMED)次世代がん医療加速化研究事業(P-PROMOTE)(課題番号JP24ama221236)
- AMED産学連携医療イノベーション創出プログラム(ACT-M)(課題番号JP20im0210121)
- AMED橋渡し研究プログラム(TR-SPRINT)(課題番号JP19lm0203023)
- 科学技術振興機構(JST)創発的研究支援事業(FOREST)(課題番号JPMJFR215E)
- 科研費「基盤研究(B)(課題番号JP22H02916)」、「若手研究(課題番号JP20K20196、JP18K18383)」、「特別研究員奨励費(課題番号23KJ0923)」
- 共同研究費 ステラファーマ株式会社
用語説明
(注1)ホウ素中性子捕捉療法(BNCT)
BNCTは、ホウ素原子と特殊な放射線(熱中性子)の間で発生する核反応により生じるアルファ粒子とリチウム反跳核によりがん細胞を殺傷する方法です。ホウ素原子と熱中性子そのものの体に対する影響は小さく、核反応により生じるアルファ粒子とリチウム反跳核の移動する距離は細胞1個分の大きさ(10 µm)程度であるため、がん細胞にホウ素を選択的に集積させることができれば、がん細胞だけを選択的に殺傷することができます。2020年には日本で「切除不能な局所進行又は局所再発の頭頸部癌」に対するBNCTが、世界で初めて保険適用を認められました。
(注2)ポリビニルアルコール(PVA)
PVAは液体のりの成分として使われており、また生体適合性の高い材料として古くから研究されてきた物質で、医薬品の添加物としても使用されています。PVAは多くのヒドロキシ基(-OH)を持ち、複数のヒドロキシ基がBPAのボロン酸と呼ばれる構造と水中で結合を形成します。
(注3)悪性胸膜中皮腫
悪性胸膜中皮腫は、肺の表面などを覆う胸膜という薄い膜から発生する悪性の腫瘍です。比較的まれな病気ですが、そのほとんどがアスベスト(石綿)への曝露が原因とされています。治療が非常に難しい悪性腫瘍の一つです。
(注4)アミノ酸トランスポーター
細胞がアミノ酸を細胞内に取り込むためのタンパク質です。様々なアミノ酸トランスポーターがあり、それぞれ異なるアミノ酸を取り込みます。LAT1アミノ酸トランスポーターは、正常組織ではほとんど発現しておらず、多くの腫瘍細胞で発現しているため、LAT1を標的とした薬剤の開発が近年進められています。