教養学部報
第672号 ![]()
遺伝子スイッチを、もっと正確に
佐藤守俊
遺伝子のはたらきを、必要なときに、必要なだけ操作したい。生命科学や医学において、この素朴で根本的な願いは、基礎研究から応用研究まで一貫して共有されてきました。遺伝子の役割を調べたり、病気の仕組みを理解したり、将来の治療法につなげるうえで、これはとても重要な考え方です。そのための代表的なツールが、Cre-loxPシステムと呼ばれるDNA組換え技術です。これは、特定のDNA配列を目印にして、狙った遺伝子だけを切換えることができる、生命科学ではよく知られた強力な技術です。
ところが、この便利な技術にも弱点がありました。この技術で鍵となる酵素のCreは、細胞の中で作られると、そのはたらきを制御することが困難で、私たちが意図しないときにもはたらいてしまうのです。このような望ましくないタイミングでの作動を「leak(リーク)」と呼びます。Creによって引き起こされるDNAの変化は不可逆的であり元に戻しにくい場合が多いため、Creのリークが起こると実験結果がわかりにくくなるだけでなく、将来の医療応用を考えるうえでも大きな問題になります。そこで強く求められてきたのが、「必要なときだけ確実に動き、それ以外のときは静かに止まっている」新しい遺伝子スイッチの開発でした。
私たちの研究グループが開発したSPEED-Creは、この課題を解決するための新しい技術です。SPEEDは「split-protein-based efficient and enhanced degradation」の略で、タンパク質の分割と分解を組み合わせた設計戦略を意味します。従来法では、Creに「分解されやすくする部品」をつなぎ、薬がないときには分解されるようにしていました。しかし、それだけでは分解をすり抜けて少し残ったCreがはたらいてしまい、Creのリークを十分に防げませんでした。そこで今回の研究では、Creをあえて二つに分割し、それぞれに分解の目印(分解誘導ドメイン)をつけました。薬がないときにはCreの二つの断片が分解されて量が少なくなり、しかも二つがそろわなければはたらけません。つまり、「分解される」だけでなく、「できただけでは完成した形になれない」という二重の安全装置を入れたのです。
SPEED-Creを作動させる目的で使った薬は、トリメトプリム(TMP)という抗菌薬です。TMPがないときには、分解誘導ドメインのおかげでCreの断片は不安定で分解されやすくなります。逆にTMPを加えると、分解誘導ドメインに結合してこのドメインを安定化させ、細胞の中にCreの断片が蓄積し、二つの断片が結合して再びはたらけるようになります。言い換えれば、TMPを加えたときだけSPEED-Creを作動させ、DNA組換え反応によって遺伝子のはたらきを「ON」することができるわけです。しかもTMPはもともと経口投与が可能な承認薬として感染症の治療に使われていて、生体での安全性が担保されている化合物です。SPEED-Creは、本来の目的とは別の目的に同じ薬を応用展開する「ドラッグ・リポジショニング」の発想を使って開発された新しい遺伝子操作技術といえます。
実際に培養細胞で調べてみると、SPEED-CreはTMPを加えない条件ではDNA組換え活性がほとんど検出されませんでした(=リーク活性が従来法よりも三桁低く抑制)。一方、TMPを加えると、SPEED-CreのDNA組換え活性は大きく上昇し、TMPを加えない場合の一八一倍のDNA組換えが検出されました。この実験からSPEED-Creはリーク活性が極めて低くTMPで強く活性化できることがわかりました。
重要なのは、この技術が培養細胞の中だけでなく、生きたマウスでもはたらくことです。SPEED-Creをマウスの肝臓に導入し、TMPを投与したときと投与しないときで比べました。その結果、TMPを与えない条件では活性はほとんど見られず、TMPを投与したときにだけ強いDNA組換え活性が観察されました。つまり、SPEED-Creは生体内でも「必要なときだけ入る遺伝子スイッチ」として機能したのです。生きた生物個体の中でこうした精密な制御ができることは、基礎研究だけでなく、将来の遺伝子治療研究にもつながるという点で、非常に大きな意味を持ちます。
さらに、SPEEDという設計戦略がCreだけに限定されないことも実証しました。Flp、VCre、Dreといった別のDNA組換え酵素にも同じ設計戦略を応用したところ、いずれもTMPがないときの活性を低く抑え、TMPを加えると強く活性を誘導できることがわかりました。この研究で創案されたSPEEDは、ある一つの酵素に専用の設計戦略ではなく、不要な作動を抑えつつ、必要なときだけはたらかせるという、より一般的なタンパク質制御の方法として使うことができます。
遺伝子操作技術はこれまで、「強くはたらくこと」や「確実に切り換わること」が重視されてきましたが、これからは、それらと同じくらい、「余計なときにはたらかないこと」が重要になると思われます。SPEED-Creは、まさにその点を大きく前進させた技術です。承認薬でスイッチを入れることができ、しかも望ましくないタイミングでの作動を極限まで抑えて、極めて正確な遺伝子操作を可能にするSPEED-Creは、生命科学研究をより精密にし、病態解明、創薬、再生医療、遺伝子治療へとつながる新しい基盤技術になると期待されます。
(生命環境科学/化学)
〇関連情報
【研究成果】ドラッグ・リポジショニングに基づく遺伝子操作技術の改良
──「分割」と「分解」のダブルケージ戦略で意図しない反応を極限まで抑制──
https://www.c.u-tokyo.ac.jp/info/news/topics/20260122140000.html
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